コーチとしての幸運。 | 徒然に。

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 ↓で、町田ゼルビア黒田監督がインタビューに答えています。

 

 

 私は黒田監督の志向するサッカーは好きではありませんが、ものすごい監督だと尊敬の念を持っています。

 そして↑インタヴューを聞くと、やっぱり凄くいい考え方でやっているんだなと感銘を受けました。

 そのなかで特に興味深かったのは「コーチそれぞれが主導でやる」という点です。

 コーチにハマる人は、おそらくスタートの時点で、自分が主導になってやる場面を、ある程度与えられたのではないでしょうか。

 

 私の場合はそうでした。

 コーチを初めてやった25年ほど前、当時のうちの監督さんが鬼監督(笑)として有名で、選手やコーチにも怒鳴り散らすので、コーチも怯えて辞めていってしまうのでした。

 そこで監督以外誰もコーチがいないということで、知り合いの伝手で私にコーチの話がきました。

 それでコーチを始めたのですが、私が外様のコーチだったからか、私に対する要求は控えめでした。後からそのチームの保護者に聞いた話です。

 そして、コーチが二人しかいないものですから、4年~6年は監督、1年~3年は私ということで、コーチ初日から、コーチ未経験の大学1年生が3学年を1人で担当するという、おそろしい状況になったのでした(笑)。

 とにかく何もわからないから必死です。

 そして途中あるきっかけがあり「自分も○○チームみたいなサッカーを、コーチとして実現してみたい」と強く思うようになりました。それからは、とにかくサッカーを勉強しました。

 そして、合っているかどうかは謎ですが、こうやってサッカーについてやたら長くブログで書くくらいの蓄積はできたのでした(笑)。

 コーチ不足ということで、図らずも自分が3学年も担当することになったことで、私は主導的な立場でコーチを体験できたのでした。

 しかもその監督さんは人間的には素敵なところが非常にある方で、持ち上がりで代を担当させてくれました。

 普通、鬼監督ならば自分でやりたいタイプの人が多いので、自分が花形の高学年を担当するでしょうが、違いました。

 最初担当した小3の代を卒業まで見れたのです。

 大学生のコーチ経験で、小学生がどのように変わっていくのかを見れたことは、自分の中では大きな財産になったのでした。

 

 もう一つは、コーチ時代に「本当に尊敬できる人」に出会えたことです。

 今思うと、私はそのM監督に対して初めて「人を尊敬するっていう気持ちはこういうことなのか」と学んだ気がします。

 このことは何度も書いています。

 たとえば炎天下の中、大会がありました。

 うちのチームは10点差以上でぼろ負けし、鬼監督さんは選手に罰走を命じました。当時はそういうのは普通でした。

 すると同じ会場で試合をしていたM監督が私のところに寄ってきて「なんでおまえ選手と一緒に走らないんだよ、負けたのは選手のせいかよ、おまえに責任はないのかよ!」と強い口調で言ったのです。

 当時は怒鳴り散らすうちの監督の指導方針を巡って、私は監督とぶつかることが多かった頃でした。

 ブログを読んでくれている方はわかると思いますが、温厚を装っているといいますか、温厚になることを目指していますが、私はかなり気性が荒いのです。しかもけっこう見境がなくなるところもあり、たまにそういう自分に絶望したりします。

 当時も10歳以上年上のうちの監督の怒鳴り散らす指導が許せなくて、ほとんど口を利かない関係性になっていました。

 自分の指導に口出しされたら「監督の言うことはわかりますが、私はそうは思わないので、私が担当する代のことに関しては黙っていてください」と言い返していました。

 そんな感じでしたから、監督指揮下でぼろ負けしたときに「だから言わんこっちゃない、そんな指導だから駄目なんだよ」と思っていたのです。

 ですがM監督に叱責されて、私はとんでもないことを見落としていたことに気付いたのです。

 私はうちの監督に対して頭に来ていましたが、大事なのは選手たちです。

 うちの監督に対して怒っていても、選手が炎天下でグラウンド何十週もするのを黙って見ていたら、私が良くないのだと思いました。

 私は素直にM監督の言う通りだと思い、子どもたちと一緒に罰走を始めたのです。

 うちの監督もM監督を師匠として慕っていました。

 なのでM監督が私を怒鳴りつけて、私が子どもたちと一緒に炎天下の中、罰走を始めたのを見て、何かを感じたとは思います。

 ですが、その顛末は覚えていません。

 

 私はM監督に大学生の頃の4年間、試合会場で会うたびに練習方法やサッカーの捉え方、選手への接し方を聞きまくりました。

 いつも熱心に答えてくれたし、本当に何度も叱責されました。

 きっと他のチームの監督に毎回叱責されるコーチはなかなかいないでしょう(笑)。

 そして、しょっちゅう練習試合をしてくれました。

 熱意を評価してくれたのか、合同練習までさせてもらい「おまえ、全部やれよ」と言ってもらい、緊張に震えながらうちとM監督のチームを指導したこともあります。

 その代のM監督のチームからは、U18日本代表になった子がいました。もちろんプロ入りしています。

 M監督のチームは、ここ15年でU18日本代表を2人輩出しているということで、普通の街クラブ(都大会にすらほとんど出たことがないです)なのに傑出した指導力があると思います。

 私は実際にM監督の指導を生で見て話を聞いて、そしてU18日本代表になった子の少年時代のプレーを見れたことは幸運だったのです。

 それも、M監督に食らいついたからだと思っています。

 そしてなぜM監督に食らいついたかというと、M監督を純粋に尊敬できたからです。

 私はコーチ時代、自分が主導になってコーチをやること、人を尊敬することを学べたと思っています。

 これは人生の財産だと思っています。

 

 最後に。

 何度も書きますが、私は自分が書いている方法論が正しいと思っているわけではありません。

 ですが間違っているとも思っていません。

 私は「わからない」と思っています。

 結局はどのルートから頂上を目指してもいいと思います。

 たまたま私は「低学年のうちはドリブル重視」ルートを取っていますが、これはM監督から学んだことでもあります。

 M監督のチームは、ドリブルチームです。

 ただ、単純なドリブルチームではありません。

 低学年のうちは、M監督は、試合でチームの子がパスしたりすると「なんだよー最後まで自分で行けよー」とか言っていますが、高学年になるとスタイルが変わってきます。

 パスも入れながら中央からどんどんドリブルとワンツーで入っていくスタイルになってきます。

 ですが、ほとんど都大会出場に絡めないようなM監督のチームから、ここ15年でU18日本代表が2人出ているというのは、特筆すべきことだと思います。J下部にも毎年のように合格しています。

 私はといいますと、M監督のチームよりもう一段弱いチームで、都大会出場どころか、市内最下位をさ迷うレベルです。

 ですが、関東大学リーグキャプテンと副キャプテンを輩出しています。

 関東大学リーグのレベルはプロ一歩手前です。市内最弱からそこまでいければ、なかなかのものでしょう。

 もちろん一般化はできません。

 ですが、ドリブル重視で都大会に出れないレベルからでも、実際にいい選手は出ています。

 どこから頂上を目指してもいいと私は思っているのです。