本当に強い組織とは何でしょうか。
私は、自分が任されたことを責任をもってやることだと思います。
サッカーでいえば、「1対1」で負けないことだと思います。
このことを『革命前夜』(風間八宏 木崎伸也)のなかで風間さんは、P185でこう語っています。
「昔は11対11じゃなくて、1対1で全員が勝てばいいという当たり前がわかっていた。(中略)いつの間にか常識が変わってしまった。(中略)皆でやるのではなくて、1人ひとりでやるのがサッカー。それを下地にして、いろんなことを与えていくのがチームプレー。順番を間違ってはいけない。」
風間さんの考えが真理かはわかりませんし、「サッカーはまずチームプレー」という考え方も、もちろん尊重しています。
ただ、チームとは本質的にどういったものでしょうか。
サッカーでいえば、11人全員が味方のことを考えて、味方とハーモニーを取るのがチームでしょうか。
私は違う考えを持っています。
そもそもチームや組織を作る理由というのは、そのための「目的」があるからです。
その目的を遂行するために組織が作られます。
たとえば「またぎ」。
熊を狩るために、棟梁が中心になって持ち場を決めます。
またぎはチームですが、熊を狩るという目的のために結成された組織です。
熊を追い詰めるために、周りから追い立てる役も必要です。
ですが、誰もその地位に甘んじたいとは思っていません。
鉄砲の技術が一番高い人間が花形ですし、棟梁はチームを指揮するという意味で、絶対的な権限を与えられています。
つまりチームといっても、結局は個人勝負なのです。
どんなにチームワークが良くても、鉄砲役の腕が悪かったり、棟梁の指揮が悪かったら、狩りは徒労に終わるでしょう。
いくら熊を追い立てる役の息が合っていても、仕留める鉄砲役の技量で勝負は決まるのだと思います。
またぎの例は、だいたいの組織に当てはまるでしょう。
会社といっても、2割くらいの花形プレーヤーが8割くらいの利益を取ってきているのが実態だと思います。
結局組織といっても、2割くらいの花形プレーヤーに依存しているのであって、そしてその人の報酬が高いのは当たり前のことです。
ですから、どの世界でも生き抜くためには、まずは、個人の技量を磨くことだと私は思っています。
サッカーで言えば、グアルディオラが言ったように、ファイナルサードで勝負できる人が、またぎでいえば鉄砲役なのだと思います。
具体的にはドリブルです。
そう考えたときに、特に小学生低学年のうちは、私はドリブルでいいと思っているのです。
そして「絶対に抜かれるな、抜かれたらボールを取り返すまで追え」でいいのだと思います。
そして、それぞれがプロフェッショナルといいますか、自分で責任を持ってプレーできるようになると、けっこう少年サッカーでも感動的な場面が出てきます。
後ろで身体を張れる子が「○○にとにかくボールを集めろ!俺たちは絶対に守るぞ!」と言った子が過去にいて、私は感動しました。
「チームで頑張ろう!」という思想ではなくて「チームのために、○○にボールを預けたら勝てる、そのために俺の仕事は身体を張って守ることだ」という感じなのです。
私はこれこそが本当の組織、チームだと思っているのです。
「チーム」を先に考えてしまうと、チームはその枠で収まってしまいます。
ですが「個人」が自分の責任を果たした上でチームなんか考えずにやっていくと、チームとしての枠組みが広がっていくのだと思います。
私は全面的に、今のスクール全盛時代には賛成になりました。素晴らしい指導を受けるのに、何の損もないでしょう。
ですが若干ですが、そういったところが、もしかしたら日本サッカーの落とし穴になるのではないかなと思っています。
たとえば↓元アルゼンチン代表の象徴、マスチェラーノです。
なにか、こういった魂のディフェンスみたいのは「俺がチームを勝たせる!」的な責任感がないと、出てこないように思うのです。
スクールで学べることとはちょっと異質な感じがします。
それは、遠藤航が部活からリバプールのレギュラーになったことに象徴される気がします。
私はこのことは、もっと深く論じるテーマだと思います。
おそらく日本人史上最高のレヴェルに到達した選手の出身中学が「部活」なのです。それも超強豪というわけでもない普通の部活です。
リバプールのレギュラーという、これまで日本人が到達したことがない位置まで言った人間が、今プロになる人でほとんどいない「普通の部活」出身なのです。
素朴に考えれば、普通の部活に、なにかヒントがあるということでしょう。
そして私は、遠藤は「またぎの棟梁役」と「またぎの鉄砲役」を存分に中学でやれたからだと推測しているのです。
結局遠藤がリバプールでやっていることというのは、気の利いたポジショニングと、個人で奪い切れるディフェンスでしょう。
結局は「個」なのだと思います。
では、その「個」はどう育つのでしょうか。
「個の解釈は○○」とかいろいろありますが、結局は「自分でチャレンジできる環境」なのだと思います。
だからこそ、私はブログで「少年時代は強豪チームにいるかどうかは選手の成長にあまり関係がないのではないか」と書かせていただいています。
そしてリバプールを見ればわかるように「本当のチームワーク」は、個人が責任をもって、個人が輝くサッカーなのだと思います。
サラー、マクアリスター、ファンダイク、ルイスディアス、遠藤航、、、みんな個性が違います。
ですが、リバプールは「本当のチーム」だと思われる方が多いと思います。
個人が自分のプレーを表現して、全体で調和する。
これこそが理想だと思います。
冒頭に引用した風間さんの言葉通りだと思います。
まずは個人が最大限に輝くと、チームの調和が出てくるのだと思います。
そしてその究極が、何度も挙げている↓だと思います。
メッシ、シャビ、イニエスタ、ブスケッツは、自分の役割に責任を持ちつつ、自分のプレーをしています。
その自分のプレーの融合体がチームだと思います。
こういう感じが、私は本当の組織だと思っています。