アルゼンチン流の育成。 | 徒然に。

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 以前、何かの記事で、メッシが「コーンドリブル?グラウンドのどこにコーンが落ちているんだい?」と言って爆笑したというのを読みました。

 私はそれは本当かなと思いました。

 というのは、メッシは↓記事で、次のように語っているのです。

 

子供のころやっていたのは、コーンを使った練習。

 ちなみに、メッシは次のようにも語っています。

一番いいのは、トラップしたらそのままドリブルに入ること。

 私は「トラップの延長線上にドリブルがある」と指導しています。

 メッシと同じでホッとしました(笑)。というより、メッシを研究すれば、そういう風にプレーしているのはわかります。

 さらにメッシはドリブルしながら同じ動作で蹴れるので、誰もボールを取れないのだと思います。

 日本では「次のタッチで蹴れる位置にボールを置く」という指導が多いように思います。

 ただ、だいたいはトラップしたらドリブルに移行するのです。

 ドリブルを目的化してドリブルするというよりは、パスやシュートのチャンスを常に伺いつつドリブルするという感じです。

 前回も挙げた、↓バルサ最強時代のパス回しです。

 あまり2タッチ目でパスを狙っているという感じではありません。

 むしろ2タッチ目から「ドリブルもパスもあるよ」というボールの持ち方をしています。

 

 

 話を戻します。

 日本では、特にスペイン帰りの指導者が「コーンドリブルは意味がない」的なことをよく言います。

 ですがメッシは子どもの頃コーンドリブルをやっていたと言いますし、そもそもアルゼンチンのクラブはけっこうコーンドリブルをやっていると私は思っています。

 ↓は、ボカジュニアーズがインドネシアで展開しているサッカースクールです。

 

 

 見ますと、ほぼコーンドリブルとアジリティです。

 コーンドリブルも、細かいドリブルから長いドリブル、角度をつけたドリブルなど、いろいろなコーンドリブルをやっています。

 もしボカジュニアーズみたいなチームが日本にあったら「ドリブル特化型のチーム」だと思われそうなほど、ドリブル練習ばかりしているように私には見えます。

 インドネシアだけでなく、ボカジュニアーズジャパンも、同じような練習でした。

 こちらはひたすら「1対1」をやった後、アジリティとコーンドリブルを組み合わせています。

 

 

 「スクールだから本場の練習と違うことをやっているんだ」というのは、ありえないと思います。

 たとえばスペインのクラブが日本でスクールを展開する際、スペインでやっていることと違ったことをするでしょうか。

 しないでしょう。

 だから私はボカジュニアーズをはじめ、アルゼンチンのクラブは、ドリブル重視の練習が多いと推測しています。

 もしかしたら、日本ではゲテモノ扱いされる「ドリブル特化型チーム」が、アルゼンチンでは日本より多いのではないかとすら思っています。

 

 私は常々「ドリブルで逆を取れれば、パスで相手の逆を取ることにつながる」と書かせていただいています。

 ドリブルでもパスでも、相手の逆を取る感覚に違いがないのだと思っているのです。

 だから、ドリブル重視のチームから、素晴らしいパサーが生まれることは不思議ではないと思っているのです。

 現に、現在のアルゼンチン代表の中盤のマクアリスターとエンソフェルナンデスのパスセンスは、世界最高峰だと思います。

 遠藤航は「ディフェンスラインの前で、犬のように走って球際に行って、攻撃ではシンプルにマクアリスターにつけて彼がアシストする」と語っています。

 

 ということで、私が信じているのは、少年時代は徹底的に「1対1」と「ドリブル」を磨くということです。

 高学年になったときは、それにプラスして「ボールをピタッと止めること」「視野の確保」を加えます。

 私はそれだけで小学生時代はいいと思うし、むしろそれ以外にないと思っています。

 

 まったく話が変わりますが「ダークトライアド」という人がいます。

 私は「ダークトライアド」という概念に当てはまる人と実際にそれなりの年月を過ごし、そのときはひどい目にあったのです。私だけでなく、そのコミュニティーにいるみんなが被害者でした。

 精神のバランスを壊し、しばらく立ち直れなかった人が何十人といます。

 そして反論すればするほど、こちらがダメージを負うことになります。

 ダークトライアドとは以下の概念です。

サイコパシー:利己的・反社会的・衝動的

ナルシシズム:誇大的・賞賛を強く求める・共感の欠如

マキャヴェリズム(権謀術数主義):他者操作・冷笑・搾取・欺瞞

 簡単に言ってしまえば「反社会的(一般的でないこと)なことを誇大的に主張し、反論を食らえば冷笑する」といったことです。

 放っておくと言いますか、私はむしろ一目散に逃げた方がいいと思います。

 世の中には本当に「良心の呵責がない人」というのはいるのです。

 本当に、相手の破滅だけを願うような人はいるのです。

 そういう人は、こちらが怒れば怒るほど、むしろ生き生きしてくるのです。

 そんな人、いないと思うかもしれませんが、いるのです。

 恥ずかしい話ですが、うちの父がそうです。

 私の父は、高校受験のとき、受験会場まで送ってくれました。

 そして帰り道「俺、あんまりできなかった」と言ったところ「じゃあ多分落ちてるな」と心底うれしそうな顔で言ったのです。

 私は愕然としました。

 結局、私は父みたいな人がいるということを、ずっと認められなかったのです。

 ですが、そういう人の不幸とかを心底喜ぶ人は世の中にはいます。本当にいるのです。

 いくら怒っても、相手はそれをエネルギー源にしているのですから、勝てるはずがないのです。

 だから逃げるしかないのだと思います。

 まず大事なのは自分や家族、友人だと思います。

 すいません、出すぎた真似かもしれませんが、私はその方自身と家族の幸せを願っています。

 逃げてほしいと勝手に思っています。