小学生年代ではそこまでではなかった選手が、中学以降に急に伸びるのはよくあることだと思います。
それは何が要因なのでしょうか。
もちろん答えは誰にもわかりません。それに残酷なことに「その子は元々成功するような遺伝的要因があった」という可能性もあります。
ですが、元々の才能は必要にしても、環境の影響も無視できないでしょう。
メッシの才能があっても、そもそもサッカーをやっている環境になかったら、メッシみたいにはなれません。
こういうテーマは検証しようがないことなので、むしろ個人の経験というのが参考になる気がしています。
「データとして○○という傾向がある」といった科学的な観点よりも「Aさんは〇〇をやったから成功したと言っている、Bさんは△△をやったから成功したと言っている」といった臨床例を積み重ねた方がおもしろいことがわかると思います。
たとえば、めちゃくちゃおもしろい本で『天才たちの日課』という本があります。
161人の古今東西の天才たちの日常生活を、なんの評価もいれずに淡々と描いたものですが、これがおもしろいのです。
ちなみに私がそこから抽出した学びは「天才たちは、驚くほどその本業に時間を割いていない」ということでした。
だいたいの天才たちが、その本業の活動をするのは1日3時間~6時間くらいのものに私には思えました。
それまで、何かを成し遂げるには24時間そのことに没頭しなければならないと思っていたのが、私はこの本を読んで概念が変わりました。
むしろ自分が最も大事にしているもので何かを成し遂げるには、それをやらない時間を膨大に作る努力が必要だと思ったのです。
一見奇妙なことですが、実際にそうやって天才たちは偉業を成し遂げていたのでした。
話を戻します。
いつも書いているK君と私です。
2人で平日毎日「1対1」や「2人組リフティング」をして、お互い県大会や都大会は夢のまた夢の弱小チームから、K君は浦和レッズジュニアユース、私は三菱養和巣鴨に合格しました。
これだけでも、ランクからすれば他のサッカー少年を3ランクくらいは逆転して追い越したと思います。
ただ、K君や私がなかなか頑張ったと思うのが、K君も私もチーム内でレギュラーを取れたのです。
K君はジュニアユース、ユースと全国大会で優勝していますし、私は東京トレセンに選ばれました。
私の例ですが、養和巣鴨では最初ボール回しに苦しみました。
何しろ私が所属していた少年サッカー団は勝つことがほとんどなかったですし、ボールを持ってドリブルしようものなら「なんでコーナーフラッグ目がけてボールを蹴らないんだよ!」とコーチから罵声が飛ぶのです(笑)。
ボールの回し方なんか、まったくわからないのです。
なので最初はBチームスタートでした。
ですが、数か月もすると、簡単にボール回しに加われるようになりました。
というのは、パスをそつなく回すのは簡単なのです。簡単といいますか、足元の技術があれば、簡単です。
「身体の向き」は最重要技術の一つだと思いますが、これだって足元の技術があれば、意識すれば簡単にできるようになります。
それで数か月すると、自分が養和巣鴨のチームメイトにも、1対1はほぼ勝てることに気づきました。
そこからは一気にAチームに上がりレギュラーを掴むことができたのです。
K君も同じだと思います。私がたまたまK君と同じ会場になったとき、レッズジュニアユースの試合を見ていたら、K君は1回も抜かれなかったのでした。
ということは、K君と私は、小学時代の二人練習で「武器」を身につけることができたのだと思っています。
私たちの場合は「1対1の強さ」と「浮き球のコントロールのうまさ」だったと思います。
具体的に何を武器にするのかは、人それぞれだと思います。
パスの人もいますし、ハードワークの人もいます。
それぞれでいいのだと思います。
ですが、もし環境によってその人の「武器」が見いだされるのならば、そういった環境を与えてあげたいと私は思っています。
それで行き着いたのが「低学年のうちはドリブル重視、高学年になったらパス重視、ただそこからはみ出ていてもあまり言わないようにする」でした。
ドリブルについては、さんざんブログで書いてきたので、割愛します。
ですが実は私はパスについての方が、語りたい蘊蓄があるのです。前回のブログでも書かせていただいたようなことで、語りたいことがたくさんあります。長文すぎて誰も最後まで読んでいない自己満足ブログですが(笑)そのうち、パスシリーズを始めようかと思っています。
一応ドリブルにしろパスにしろ、マニアックな蘊蓄(それが合っているかどうかは微妙ですが)があるのですが、私はうちのチームにいる子どもには、ある時期は徹底的にドリブルをやってほしいし、ある時期は徹底的にパスをやってほしいと思っています。
なぜなら、ドリブラーの素養がある子、パサーの素養がある子、どちらの子がうちのチームにいるかはわからないからです。
さらにまったく違った素養がある子がいるかもしれません。
どちらにせよ、「武器」を作ることは大事だと思います。
上のレベルでやることでもう一つ大事なのは、私は「コーチの許容度」だと思っています。
これは子どもの運になる気がします。
三苫薫は川崎フロンターレの下部組織時代、ボールを取られて味方に文句を言われても、ドリブルを仕掛けたと言います。
ですがもしそのときにコーチが「薫、ドリブルするな、簡単にプレーしろ!」と言ったら、さすがにコーチの意見には逆らえないので、ドリブルしなくなったでしょう。そうしたら今の三苫薫は間違いなくいないでしょう。
そのときの川崎のコーチは素晴らしいと思います。
「薫、ボールを取られてもいい、だが絶対に自分で奪い返せ」
そう言ったといいます。
つまり私が上のレベルで伸びると思う要因は2つあります。
・自分の武器を持つこと。
・その武器作りのために、ある程度自由な環境でやること。もしくは、いろいろなプレーを経験できる場でやること。
私はうちのチームにいる子どもが6年間いるならば、いろいろなスタイルのサッカーを経験できるようにと試行錯誤してきました。
元々ドリブラーだったのでドリブルは好きなので、メッシやマラドーナを徹底的に研究しました。
同じようにグアルディオラのバルサのパス回しも徹底的に研究しました。
結果として「低学年はドリブル、高学年はパス」という今のスタイルになっているわけですが、私のやり方が合っているというつもりは全くありません。
ですが、誰しも見ていれば自明なように、小1と小6では、なにもかもが違います。
だから同じ少年団だからといって、全学年通して同じようなサッカーをする必要はないのだと思います。
低学年のうちは「最後までドリブルで行け!」と言っていてドリブルチームだったのが、高学年になれば「ドリブル以外の選択肢も持てた?」とか言って、パスチームに変わっているのは私はいいと思うのです。
そしてそれは当たり前だと思うのです。発達段階が違うのですから。
私が完璧にできているとは到底思えませんが、それでも一応チーム内でサッカーのやり方をガラッと転換することは、やってきたつもりです。
そしてその方がコーチとしても楽しめるのです。
低学年のうちは、ドリブルに没頭して試合を見れます。
高学年になれば、パスの質に没頭して試合を見れます。
全然違う楽しみ方ができるので、コーチとしても飽きないのです(笑)。
私は逆に、ある信念のもとやり続けているコーチに「どうして飽きないのでしょうか?」と、尊敬の念をもって聞きたい気持ちがあります。
「お前が飽き性なだけだろ」と言われてしまうかもしれませんが、いろいろやった方が私にはおもしろいのです。
そしてそのことが、子どもの可能性を伸ばすことはなくても潰すことになっていないと、自信がないながらもそう思っています。