私は自身がサッカーをやってきて、コーチも延べ10年くらいやったなかで、非常にややこしい問題があると思っています。
それは「判断」についてです。
もちろん私は、ある程度大人になった選手ならば「判断」が最も重要に思います。
技術がない選手が自陣ゴール前でドリブルしだしたら、それはサッカー選手としてはレベルが低いということになるでしょう。
ですが、ゴール前でも平気で相手をかわせる選手もいます。
ではなぜ、そういう「卓越した選手」は、そのようなことができるのでしょうか。
真理の答えはもちろんわかりませんが、私は「少年期に許されたプレーの許容度の多さ」だと思っています。
ヨーロッパは戦術的と言われます。
ですが↓バルサ下部組織の試合を見ると、センターバックの選手が取られたら即失点の場面でも普通にドリブルしています。
一方の意見では、低学年でドリブル無双できても、高学年になればできなくなるから、意味がないということになります。
ただ、私は真逆の考えを持っています。
低学年の段階でドリブル無双していて、高学年になったら抜ける人の数が減っていきますが、それでも自分のプレー範囲を広げた意味は大きいのだと思っています。
最初からドリブルにチャレンジしなければ、本当は抜ける才能があるのに、その才能が眠ったままになってしまいます。
先日、U23日本代表は、マリに完敗しました。
その論評をセルジオ越後さんがしています。
もうパス、パスには飽きたよ。どうやって相手ゴールをこじ開けるか。それぞれがもっと真剣に考えないとね。決められたことだけを忠実にやることは、子供のやることだよ。大人はもっと責任感を持って、どう打開するか考えるものだよ。
特にサッカーに対して認識があると思っている人ほど、パスの重要性を説きます。
ですがなぜ、今の日本代表のタレントは史上最高だと思われているのでしょうか。
久保建英、三苫薫、堂安律、遠藤航、伊藤純也。
ドリブラーばかりだし、遠藤は1対1の達人です。
今の日本代表で、パス回しがうまくて世界のトップオブトップに届いた選手はいません。
みんな結局、1対1で勝てる選手なのです。
サッカー通の方で「サッカー」をしましょうと言う方がけっこういます。
ただ、そのサッカーとは、そのサッカー通の方が思っているようなサッカーではない可能性は大いにあります。
結局は個人の1対1で勝てるのがサッカーだと私は思っています。
さらに結果は出ていると思います。
史上最高の選手といえば、誰もがメッシかマラドーナどちらかを挙げるでしょう。
2人とも「ドリブルの国」アルゼンチン出身です。
「私は○○と思う」と言っても、実際にドリブル重視のアルゼンチンからメッシとマラドーナが出てきているので、現段階では「サッカーはドリブルじゃない」と主張するのは無理がある気がします。
その人の意見の前に、実際にマラドーナとメッシがいるのです。
アルゼンチンの観客席からは、パスに逃げると「この腰抜け野郎!」と罵声が飛ぶといいます。
その環境からマラドーナとメッシが出てきたわけですから、少年時代に「とにかくドリブルでいけ!」というのは、私は否定できないと思います。