私は20年来のアルゼンチンサッカーの熱狂的なファンだ。
普段はもちろん日本代表を応援しているが、相手がアルゼンチンなら話が違う。日本対アルゼンチンならば、躊躇うことなくアルゼンチンを応援する。
私が日本人だからという以前に、アルゼンチンのあの、激しく速く情熱的で上手いスタイルが好きだ。
激しい守備から、ワンツーとドリブルを使いながら一気にこじ開けていく。
子どもの頃に映像で見た、アルゼンチンがワールドカップで初優勝した1978年ワールドカップの紙吹雪が強烈な印象だった。
まるで別世界のように思えた。
そして1986年ワールドカップでの、マラドーナの伝説の5人抜き。
マラドーナは、私の子どもの頃のダントツのあこがれだった。
世界中のサッカー少年があこがれただろう。
それくらいマラドーナは異次元のプレーをしているように私には思えた。
私はアルゼンチン国歌が好きだ。
個人的に最も好きなアルゼンチン代表は1998年ワールドカップの頃だ。
日本とも対戦したが、当然アルゼンチンを応援していた。
シメオネ、バティストゥータ、オルテガ、センシーニ、ベロン、サネッティ、、、。本当に好きな選手ばかりだった。
国歌ということでは、2014年ワールドカップ決勝の国歌も忘れられない。
アルゼンチン人は、地球上でもっともサッカーと生きているのだと思った。
そして2022年ワールドカップ優勝。
私はアルゼンチンは宗教の国だと思う。
死者とともに生きている国だともいえるかもしれない。
マラドーナは亡くなったが、今でもアルゼンチンでは生きているのだと思う。
マラドーナとメッシはもはや神だと思った。
ただ、その神であるメッシも、歴史を大切にする。
↓ワールドカップ後のインタビューで「でもこれまでのチームメイトたちにも僕は感謝を忘れてほしくないです」と言っている。
やっぱりアルゼンチン人らしく、メッシも過去の人と一緒に生きているのだと思う。
ボカジュニアーズのボンボネーラ(スタジアム)の周辺。
アルゼンチンが誇るファンタジスタ、リケルメの引退試合。
アルゼンチンサッカーの熱狂的ファンも偉大な選手たちも、みんな過去の偉大な選手とともに生きているのだと思う。
私はアルゼンチンを見ていると、無性にうらやましくなることがある。
歳をとってきたせいかもしれない。
もし私がアルゼンチン社会で生きていれば、歳をとって死んでいくことに、そこまで空虚感はなかったかもしれない。
マラドーナはコカインをやり、社会的に制裁を受けたが、だからといってアルゼンチン人にとっては大したことではないらしい。
その善悪はわからない。
わからないけど、私にとって、マラドーナがコカインをやったからといって、永遠のアイドルであることには変わりがない。
今でもマラドーナのプレーを見るたびに、衝撃が蘇る。
サッカーでここまで人を感動させられるのかという衝撃が蘇る。
マラドーナはこう言っている。
「私は数々の間違いを犯した。だがサッカーに対して不誠実だったことは一度もない」
そしてその言葉通りの人生をマラドーナは生きた気がしている。
そしてアルゼンチン人のサッカーファンは、なにか夢の世界を生きている気がするのだ。
私はそういう彼らを心底うらやましくなる。