コーチと親の関係性で難しいと思うこと。 | 徒然に。

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 最近コメントいただいた方で、興味深い記事を書かれている方がいました。

 

 

 『親目線<コーチ目線』ということで、拝読しますと、コーチがディフェンスの鉄則的なことをしっかりと気付いてコーチしている様子が書かれています。

 私はある意味、そういった関係は「幸福な関係」だと思います。

 

 ですが世の中は、なかなか理想的にはいかないと思います。

 というのは、私はコーチをやっていたり、いろいろな親御さんのサッカーブログを読んでいて(サッカーブログを書く時点で、勉強熱心な方ばかりということはあるかと思いますが)思うのですが、親御さんのほうがコーチよりサッカーの知識があるというのは、ザラにある気がします。

 というより、サッカーに対する全般的な理解度は「勉強熱心な親御さん>平均的なコーチ」だというのは、私だけではなく大抵の人が思っていると感じます。

 私もそう思われている可能性は高いですが、サッカー経験がありコーチをやっている方が、人に教える態度で「〇〇はこうしたほうがいいですよ」と断言してブログを書いていたりすると「いやーもうちょっと勉強したほうがいいんじゃない?」的な感想を、サッカー未経験で勉強熱心な方から持たれることも少なくないと思います。

 

 さらに私はコーチをやる上で、もしかしたらサッカー知識の豊富さよりもまず第一に来るのは「子どもとの接し方」や「練習のオーガナイズのうまさ」ではないかと思っています。

 グラウンドに立ってしまえば、コーチ経験があろうが元プロであろうが親御さんだろうが関係なくて、多少は経験が左右するにしても、本質的にはその人の「才能」や「知性」「愛情」という、努力では如何ともし難いことが、まず第一に影響するのではないかと私は思っています。

 これまで大学生コーチを10人以上見てきましたが、私が思う「良いコーチ」は最初から「良いコーチ」でしたし(少なくともその萌芽はあった)逆もまた然りでした。

 

 さらにどの部分でコーチが評価されるのか、本当にわからないのです。

 細かく教え込むコーチがいても、その細かさに嫌気がさして、選手がサッカーをやめてしまったら、良いコーチかどうかは意見が分かれると思います。

 私としては「卒団後もサッカーを続けているかどうか、卒団するときに『サッカー楽しかった!』と子どもに言ってもらえるかどうか」「自チームのレベルに比して、高いレベルでサッカーを続ける子が多いかどうか」あたりが指標かなと思っています。

 そういう指標ならば、一見グラウンドで「緩い」ように見えても、子どもたちが楽しそうにサッカーをやっていたり卒団後に高いレベルでやっている子が何人もいたりすれば、安心してそのチームに子どもを預けられる気がします。

 

 ただ、「コーチ<親」という現象は、そもそも教育現場に現れていると思います。

 ↓は東洋経済オンラインの『教員就職者が多い大学トップ200ランキング(2018年掲載)』からです。

 

 

順位 大学名 偏差値
1位 大阪教育大学 50〜60
2位 愛知教育大学 50〜63
3位 北海道教育大学 52〜61
4位 文教大学 45〜57.5
5位 広島大学 50〜60
6位 東京学芸大学 52〜67
7位 福岡教育大学 48〜58
8位 日本大学 45〜63
9位 埼玉大学 51〜65
10位 岐阜聖徳学園大学 45〜63
11位 千葉大学 51〜60
12位 日本体育大学 48〜58
13位 茨城大学 50〜59
14位 静岡大学 51〜60
15位 武庫川女子大学 45〜64
16位 岡山大学 55〜59
17位 宮城教育大学 51〜56
18位 佛教大学 45〜66
19位 明星大学 45〜59
20位 関西学院大学 62〜69
21位 岐阜大学 52〜59
22位 國學院大学 49〜71
23位 新潟大学 50〜56
24位 常葉大学 45〜57
25位 山口大学 49〜56
26位 熊本大学 51〜59
27位 玉川大学 45〜67
28位 都留文科大学 57〜64
29位 立命館大学 61〜75
30位 早稲田大学 72〜84

 

 ↑大学の学歴はだいたいが偏差値50〜60くらいなので、それより高学歴な親は、けっこういると思います。

 「小学校はレベルが低い」と考えて塾に入れても、個別指導塾などでの講師の学歴帯はまちまちでしょう。

 

 サッカーでも教育でも、子どもに関わる分野では、このような構造があると思います。

 そして当然、コーチや先生が優秀かどうかは「学歴や選手歴、コーチ歴は多少は関係しても結局はその人に才能があるかどうか、その人が勉強熱心かどうか」になってくると思います。そうなると結局はどういう先生やコーチに当たるかは「運」という要素が強い気がしています。

 

 ただ、非常に難しい問題がある気がしています。

 それは「子どもの心の姿勢」です。

 うちの父は「サッカー押し付け親」の最右翼の人でした(まだ生きていますが笑)。

 教員で帰りが早かったので、毎日1時間近く自主練をやらされました。

 毎試合ビデオを撮って、試合後はビデオを見ながら指導(罵倒?笑)されます。

 さらにサッカーを知らないコーチ(父自身もサッカー未経験で大して勉強しているようには思えませんが、、、)に対する文句を家庭内で言う人でした。それは学校の先生に対してもそうでした。

 確かにサッカーはうまくなりました。

 しかし父の指導のおかげで私は性格がひん曲がった気がしています。

 なにかにつけて「コーチがサッカー知らないから」とか「先生がばかだから」と思うようになりました。

 特に中学校の頃は、私は勉強だけはできたので、先生の説明間違いを「先生、それは間違っています」と発言するめちゃくちゃ嫌な生徒になっていました。

 

 そうやって「人のせい」にすることが間違っていることや、能力に関係なく「先生として尊敬する態度」こそが、自分が伸びる一つの秘訣なんだということに気付いたのはずっと後のことでした。

 きっかけは内田樹先生の『先生はえらい』という本を読んでからでした。

 本を読んでみて、教える側に求めすぎるのは、結局自分に跳ね返ってくるよなと思いました。

 自分が人に求めすぎるということは、本業では逆に自分が世界一を目指さなければいけないということになります。ですがそれは不可能だと思います。

 教員ならば学習指導要領をつつがなく教えられれば、私は素晴らしいと思います。

 サッカーコーチならば、サッカーの基本技術を教えられれば、私は素晴らしいと思います。

 試合のときは子どもたちを引率で連れていき、つつがなく試合をし、審判をそれなりにこなせば、十分素晴らしいと思っています。自分自身にもそう言いたいです(笑)。

 そこが出発点であとは競争ですが、出発点は「あなたはしっかりと職務をこなしている」でいいと思うのです。

 

 そして私は自身の失敗(父の失敗)から思うことは、父から見てどんなにだめなコーチでも先生でも「先生なんだから尊敬しろ」「コーチなんだから尊敬しろ」と言ってほしかったということでした。

 なにもコーチをやっている自分が尊敬されたいわけではありません。

 そうではなくて、子どもが「人を尊敬する心」を持ってほしいのです。

 周りの人間に対して「あいつは駄目だ」と思っていると、結局は生きにくいのです。

 ですが周りの人間に対して「あいついいヤツだな」とか「ほんとあの先生尊敬できる」とか自然に思える心をもてば、生きやすいのだと思います。というより、私としては人生を愉快に生きていく上で、最も大切なことじゃないかとすら思います。