やっぱりサッカーはおもしろい。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 ネタ切れということで「サッカーについて書く頻度が減る」と以前のブログに書かせていただきました。実際そうなりそうですが、それでも日々のサッカー練習があると、ついサッカーについてネタがなくても書きたくなってしまうものですね(笑)。

 そもそも自己満足ブログなので、そんなこと気にせずに書けば良かったのかもしれません。

 

 それで、なんでサッカーはこんなに人々を熱狂させるのかを考えてみました。

 もちろん他のスポーツを貶めるつもりはありません。

 それでも、このブログで知り合って今では飲み友になっている方に、御自身は野球をやっていたのに息子にはサッカーをやらせたことについて飲みの席で聞いてみると「息子のサッカーを一緒にやってきて、野球よりサッカーの方が断然おもしろい」と仰るのです。

 なんとなくわかる気がするのです。

 

 バスケや野球等の他のメジャースポーツに比べて、サッカーは圧倒的に初心者にはハードルが高いと思います。

 ちょっと運動神経が良ければ、バスケなどはそれなりに初心者でもできると思います。

 ただサッカーはなかなかそうはいきません。

 私はリフティング100回できるようになることが、サッカーという競技を本当に楽しむための入り口だと思っています。もちろん例外はあるでしょうが、これまでのコーチ経験から考えて、そんなに間違っていないと思っています。

 そして運動神経が良くても、リフティング100回やるというのは、けっこう大変なことです。かなりの時間を費やさないと、なかなかできるようにならないのです。

 ということは、サッカーはまず努力ありきだと思います。

 トッププロが出す何気ないフェイント一つとっても、徹底的に練習しないと、試合で使えるくらいの技術になってきません。

 サッカーの技術は一つ一つがそうなのです。

 戦術と技術を考え合わせると、たとえば↓のパスを受ける動作は、サッカーの最も基本と言っていいと思います。

 

 

 実演している子どもたちは、いとも簡単にやっています。

 ですが少年サッカーの現場を知っている方ならば、↑の子どもたちは相当レベルが高いということがわかると思います。

 まず、インサイドで止める、インサイドで蹴るという技術をつけるのがそれなりに大変です。

 その上、↑ではバックステップ(サイドステップ)を踏みつつボールの来る方向とは違った方向(これからパスする方向)を首を振って見て、方向づけのトラップをしています。

 こういった動作を習慣化するには、徹底的な修練が必要になります。

 何気ないこういう一つのプレーができるようになるには、かなりの修練がいるのです。

 そしてその努力次第でまったくプレーの質が変わってくるのが、サッカーが愛される理由の一つだと思います。

 1試合で3回同じようなドリブルで相手を抜けたならば、絶対に偶然はないのです。

 それはその選手の努力の賜物なのだと思います。

 そして人は、「努力」には無条件に感動するのです。

 

 次に情熱があると思います。

 サッカーはちょっとした技術差など、その日のメンタルコンディションによって簡単にひっくり返るスポーツです。

 最近なんだかんだ難しい理論が出てきていますが、結局は球際で勝てればサッカーは勝てるスポーツです。

 球際の技術もあるのですが(手を使う、お尻で押す等々)その前提は「絶対にボールを取るという気迫」です。

 そこは単純に「戦い」であって、戦いは気持ちが強い方が勝つというのは、原始的ながら太古の昔から変わらぬ事実だと思います。

 

 さらに知性があります。

 ボールの出処を予測することや、相手の弱点を見抜くこと、今日は自分の調子が悪いから守備でとにかくやられないようにしようと考えることなど、いくらでも頭を使う場面がサッカーではあります。

 

 サッカーは技術、情熱、知性が揃っていないと勝てないのだと思います。

 そしてそれらが揃ったとき、人は無条件に感動します。

 レベルの高い低いは関係ないのだと思います。

 気持ちの入ったディフェンスを見せて、相手の空いたスペースを見つけて走り込み、そこから技術を使ってドリブルで抜いていったら、そういうプレーには誰でも感動すると思います。

 それは技術、情熱、知性が備わっているからだと思います。

 

 私は20年来の熱狂的なアルゼンチンファンです。

 そして実は、日本人の中でアルゼンチンファンは一番多いのではないかと思います。

 意外にブラジルファンはそんなにいない気がします。

 それがなぜかと考えると、アルゼンチンがまさに技術、情熱、知性が備わったプレースタイルだからだと思います。

 アルゼンチンは「ドリブルの国」ですが、敵ゴールに殺到するようなドリブルが特徴です。そのドリブルには技術と情熱が一体となった、なんともいえない魅力があるのです。

 そして先制点を取れば一転して守備を固めてカウンターを狙うといったスタイルの変え方に、アルゼンチン流の知性を感じます。

 ブラジルに比べれば、知性に偏っているのがアルゼンチンだと思います。

 ブラジル人の名監督は思い浮かびませんが、アルゼンチン人の名監督はたくさんいます。

 現代だったら、アトレチコ・マドリードのディエゴ・シメオネ、トッテナムのマウリシオ・ポチェッティーノ、ウルグアイ代表のマルセロ・ビエルサなどです。

 

 私は少年サッカーを指導するとき、まず技術をつけさせようと思います。

 うちのチームはドリブルが最初に来るチームですが、練習ではパスやトラップもドリブルと同じようにやります。技術は満遍なくつけることが大事だと思うからです。

 戦術的にも視野の確保、敵を引き付けてスペースを作ること、ポジションによる立ち位置等々は、けっこう細かくやります。

 さらに試合では「ボールを取るまで止まるな!」「相手とボールを視野におさめて、一気に前にでろ!」と口を酸っぱくして言います。(ただ、できるようになったら特に何も言わないようにしています)

 ただ、いつそういった技術や情熱、知性が結びついて大きなうねりになるかがわからないのです。

 それは世界中のコーチや親御さんも同じではないでしょうか。

 ですが、そういった大きなうねり、技術と情熱、知性が結びついたときが不意にやってきたとき、真に感動するのだと思います。

 これは経験した方は絶対わかると思いますが、本当に感動的なのです。

 一度それがくると、あとはその技術情熱知性が一体となったような流れのなかで、上達の道を探すことになります。

 その状態のあとは、ある意味「少年サッカー」とは違ったアプローチな気がします。

 そしてそういう状態になると、これまで苦労してきたことがまるで嘘みたいに思えます。

 リフティング1000回できると、10回できるまでに試行錯誤したことを忘れがちになります。

 

 その選手自身や親御さんはそれでいいのだと思います。

 新しいステージで道を模索するのだと思います。

 ただコーチは、またそこに戻ります。

 ある子が小学5年でリフティング1000回できたらその子は次のステージですが、目の前にはリフティング10回できない小学2年の子がいます。

 そうするとまた、数年かけてその子が次のステージにいけるように指導することになります。

 

 ただ、そうやって何度も何度も同じ感動を味わえるということで、それはコーチ冥利なのかもしれません。