勝手な古き良き時代の思い出話で、昔ながらの完全な自己満足記事であることをお許しください。
さらに自己満足にプラスして、秩父を紹介するという意味がわからない記事です(笑)。
そのとき、うちのチームには、4年生以上は全部で10人ちょっとしかいませんでした。
6年2人、5年3人、あと8人くらいが4年生という感じでした。
高校時代の友人で監督のO君と「今年の合宿どこに行こうか」と話していました。
大会合宿をやろうにも、この学年分布では試合にならないでしょう。練習合宿をやるにも、人数が少なすぎます。
それで前代未聞の「サッカークラブなのにボールを持っていかない合宿」をやることにしました(笑)。
2泊3日、まったくサッカーをしません。
まず早朝、当時私と父が趣味でやっていた畑にて、今晩の夕食を収穫させます(笑)。
その後、西武線某駅から特急に乗って秩父方面へ!
「浦山口駅」に下車後、浦山鍾乳洞へ。
子どもたちには、目的地である場所に向かっての地図を持たせています。
大人は同行していません。
裏山鍾乳洞で待っているコーチにチェックをしてもらった子どもたちは、浦山ダムに向かいます。
ここの麓でコーチが待っています。
そこには「地獄の階段」が!
私が今思うと流石だなと思ったのは、いきなりこの階段を6年のT君と5年のS君が競うように駆け足で登り始めたことです(笑)。
T君は中学時代に選手権出場校からスカウトが来ました。
S君はたびたびこのブログで書いていますが、中学にあがるときに某関東リーグ所属チームにセレクションで合格。大学では関東大学リーグ副キャプテンにまで上り詰めました。
そんな2人が高さ100m以上はあろうかという階段を競争しながら登り始めたのです。
そういうところに彼らが伸びた理由があるのかなと思いました。
身体を動かすことが大好きなのでした。
サッカーももちろん大好きな2人でしたが、それ以前に身体を動かすことが大好きな2人だったのでした。
その後は目的地である、私の父が買った「別荘」(とは名ばかりの、集落のうちの1建の朽ち果てかけた古民家)に徒歩で向かいます。
そしてここがこれから2泊する場所です(笑)。
女の子が1人いたので、さすがにまずいかと思い、監督のO君と事前に何回か行って、女の子が寝るところだけはまともにしときました。
ですが心配は杞憂に終わりました。
女の子は全く動じていません。
電気はつかない、トイレもない(トイレは近くの公民館へ)のに、ビビった様子がありません。
むしろ男の子の方がビビっています。
朝起きたら、ある男の子が泣きそうな顔で「コーチ!俺の枕のところに見たこともないでっかい虫がいる!」と言っています。
私の持論というか、誰しも思っている気がしますが、子どもの頃からすでに女は男よりもはるかに強いということが証明された気分でした(笑)。
2日目のメインは魚つかみ取りです。
浦山口のフィッシングセンターでは、掴んだ魚をその場で焼いてもらって食べられます。
最高!
夜は恒例の花火。
めちゃくちゃ盛り上がっています。
誰もサッカーをしようなんて、野暮なことは言いません(笑)。
そして2日目にもなると、都会っ子たちも人が変わったように、環境に順応してしまいます。
もう野生児そのものです。
秩父の奥深い山に入っていこうとします。
こちらが慌てて止めるほどでした。
子どもの順応力はすごいと思いました。
当時の教え子と話すと、その頃の合宿の話になると大笑いになります。
それだけ衝撃的でおもしろかったのだと思います。
こういう思い切ったことができたのも、うちが弱小チームだということもありますし、親御さんの理解があったからだと思います。
しかしその合宿メンバー10人ほどから、セレクションで関東リーグのチームに2人合格しているのです。
その合宿をやったからと言うつもりはありませんが、さりとて、その合宿が子どもたちのサッカーに無駄だったとも思いません。
なにをやればサッカーがうまくなるかはわかりませんが、私は特に小学生年代では、どこかで思い切った余裕といいますか、そんなものが必要にも思えるのです。
そんなことを思わせてくれた合宿でした。
そしてブログを読んでくださっている方で、秩父に行ったことがない方はぜひ!秩父旅、検討されてはどうでしょうか。
素晴らしいですよ!
さらにお子さんがサッカーをしている親御さんならば、ぜひ秩父を満喫したあと、息子さんの鍛錬のために「浦山ダム地獄の階段」を息子さんに走らせていただきたいと思います(笑)。