批判されることと私のスタンス。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 最近はいろいろ紹介いただいたおかげか、毎日700人くらいの方がアクセスしてくださっています。

 ありがとうございます。

 ただ、元々「長文書きたい症候群」に罹患していて、ただ長い文章を書くだけの自己満足ブログなので、戸惑いもあります(笑)。

 さらに、私は基本的には「いいね!」してくださった方のブログしか読まないのですが、ある方にちょっと教えてもらったこともあり、他のサッカーブログを最近いろいろ読んでみました。

 たぶん被害妄想ではないと思いますが、私のブログ記事の内容を、否定的な意味で念頭においたブログを複数見つけることができました。

 実際に私の記事の言葉を、否定材料に使っています。

 私のブログも有名になったものです(笑)。サッカー有名ブログで、否定の材料に使われるようになってきたのですから。

 

 ただ、私はしまった!と思いました。

 というのは、養老孟司先生の説く、ネット社会で生きる心得を忘れていたのでした。

 「自分を批判されていると思うのなら、最初から読むな」

 もちろん私のブログを否定的に書く方がいるのは、感情的にはいい気はしませんが、その方が思うままに書くことに対してどうこうしようとは思いません。

 日本では表現の自由が認められていますから。

 「私の批判をやめろ!」とその方々のプラットフォームに書き込んだら、それこそ私はその方の人権侵害をしていることになるでしょう。

 ということは、うっかり自分に否定的なブログを読んでしまった私が迂闊だったのでした。

 

 それで、同じように私が自分のプラットフォームで書くには、特に問題ないでしょう。

 気に入らなければ読まなければいいのですし、私にも当然表現の自由があります。

 こうやって書いて、もし相手の方が反応したとしても、もう私はそのブログを読むことはないので私には関係ありません。

 さらにもし私のブログに書き込みをしたら、無視するか、あまりにひどければ法的措置を検討するというだけで、それだけのことでしょう。

 

 それで、私のブログを気に入らない人は「サッカーは目的がまずあって、そのための道筋をやたら細かく書いているけどそんなの無駄」「自説とは違うから根本的に合わない」という感じかなと思いました。

 ただ、私はちょっと論点が噛み合わない気もしますが、その目的に向かうために最も合理的なのはなにか、ということから考えたいのです。

 

 たとえばトラップです。

 ケースバイケースといってしまえばそれまでです。

 ですが、横からボールがくれば「視野の確保」という観点で、後ろからボールがくれば「一発で前を向く」という観点で、「右から来たボールを左足で止める、左から来たボールを右足で止める」ことには、一定の合理性があるでしょう。

 私はまずそれをできるようにすることが大前提で、あとはそのときの状況でやればいいと思うのです。

 

 以前コーチ仲間で「ボールが届けばどんなキックでもいい」と主張した方がいました。

 年配の方でしたが、私とは犬猿の仲でした。

 私の経験からすると、きっとこういう主張の人が、私のブログを気に入らないのだと思います。

 ただ、私はサッカーはそんな簡単なものではないと思うのです。

 私は、サッカーはむしろ「数学」に近いと思うのです。

 たとえば中2の子が連立方程式を解こうとしています。

 もちろん文字を使わなくても、解こうと思えば解けます。

 ですが、その中2の子に「とにかく解けるのが大事」と言って、文字を使わないで解く生徒を推奨する先生がいるでしょうか。

 数学者になるんだったら、中学レベルの簡単な数学から高校大学と積み上げなければいけません。そして高校数学までは、もう言われたことをやるしかないのです。

 そしてその先に、楽しい時代が待っているのです。

 だから単に「まずゴールをみましょう」とかいうのは、もう今のサッカーにはそぐわないと私は思っているのです。

 

 さらに同じようなことですが、私はブログで「ジンブレード」「膝抜き」などの動作のことをけっこう書いてきました。

 私は練習とは、ある動作を洗練させていくことだとは思っていないのです。

 そうではなくて、たとえば1回の切り返しで50の筋肉を使うならば、30の筋肉でできるようにして、さらに20→10と減らしていくことだと思っているのです。

 つまり動きそのものを変えるということです。

 そしてそれは、解剖学や物理学的見地を考えれば可能だと思っているのです。

 今でも三笘薫は筑波大学のある教授のもとに教えを乞いにいっているといいます。

 久保建英も同じ先生のところに行っているということです。

 ある方は、ブログで「プロになった人に教わらないと意味がない」と書いていますが、ではなぜ、三笘も久保もサッカープロ経験のない人のところに指導してもらいに行っているのでしょうか。

 それはその先生が、運動理論的に卓越しているからでしょう。

 もうプロ経験云々が、優位性を持てる時代は終わったのだと思います。

 サッカー感覚だけで優位性をもって選手に教えられる時代は終わったのだと思います。

 私はこれからのコーチは、自身のサッカー感性よりも、物理学とか解剖学を学ぶべきだと思うのです。

 どんなにその人が自説を力説しても、解剖学的物理学的に間違った動作ならば、それは無意味です。

 人体はほとんど共通な以上、そこから外れた動きは無駄な動きなのです。

 そしてそういった動きの本質を教えられるのは、元プロかどうかは全く関係がないことです。

 

 サッカー経験のないサッカー系YouTuberであるレオザフットボールさんの分析を日本代表選手が受ける時代です。日本代表選手では、自分から連絡してレオザさんと対談した人が二人もいます。守田と酒井です。

 日本代表クラスになると、みんなわかってきているのだと思います。

 サッカーがうまかった過去の先輩よりも、学問的に運動を突き詰めている教授とかのほうが学ぶことが多いということです。

 私の経験からも、下手にサッカーがうまかった人よりも、サッカー未経験ながら子どもがサッカーを始めたのを機にサッカーを勉強した親御さんのほうが、理論も実践も優れている人が多い印象があります。

 

 久しぶりに熱く書きすぎました。

 やっぱり私も闘争本能が激しいのでした。

 ただ思い切って書けば、私はやたら他者を攻撃する人間や、まるで自分がすべてをわかったようなことを言う人間が心底嫌いなのです。

 私の記事にやたら文句をつけた人には「お互い嫌いで平等で良かったね」ということで、終わりたいと思います。