【手術時間38分、術後の格闘56時間。私の高額療養費、総医療費は?】 | Akko☆女性社労士~徒然日記

Akko☆女性社労士~徒然日記

妊娠中に離婚して早くも23年。28歳、産後4ヶ月から勉強を始め、社労士と行政書士の資格を取って就職→2006年に独立開業,現在17年目。

仕事以外の趣味はランニング‍とゴルフ⛳️ハワイ✨飛行機✈️組
フライングホヌ3機搭乗コンプ✨
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✈️ANA SFC

ご無沙汰しております。

入院と手術による痛みと著しい体力低下のため、
なかなか日常生活に戻ることができず、
昨日くらいから、やっと、少しパソコンに向き合えるようになりました。

入院中は、多くの方から励ましのメッセージを頂き
本当にありがとうございました。

また、お仕事を助けて頂いたスタッフ、皆様、
お見舞いに来て下さった、また、来ようとしてくださってお声掛けくださった皆様
退院してしまったあとに病院へ来て下さった皆様、
本当にありがとうございました。

お見舞いの品をお送り頂いた皆様にも心から感謝申し上げます。

さて、私の入院生活は当初の予定より早く退院となりました。

3月26日に入院し、3月27日に手術をし、3月30日午後に退院という、
4泊5日というあっという間の入院生活でした。

もちろん抜糸はまだしておりませんので、
日常生活が完全にできるわけではありません。

ドクターからも
・軽度の家事はOK
・散歩は可能
・軽度の買い物はOK
・就労は不可

という退院時の計画書を手渡されており、
現在も自宅療養しながら、調子のいいときにパソコンで仕事をしているという感じです。

当ブログも2日かけて書いている状態です(笑)

4泊5日の腹腔鏡手術。
おへそを2センチ切るのと、下腹部に5ミリ×3カ所の穴。
しかも手術時間は38分。

「なーんだ、大したことないじゃん」

と思われる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、実際のところは
術後は入院中も退院後も思うように体が動きません。

「手術による体力の消耗はこれほどか…」
と思うほどです。

では、そろそろ入院時から手術までの私の日記を
いつも通り記したいと思います。

(今日はいつもより長いブログです。)



3月26日 午前10時入院
ここが、私がしばらく過ごすことになる部屋の一部です。
個室は寂しいので、4人部屋にしてもらいました。

(※社労士の視点=差額ベッド代もかかりませんね!)

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すぐに体重と身長を測って、お昼まではぼーーっと…


そしてこれがランチ。
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常食と言います。普通のご飯ですね。

手術後、流動食や5分がゆなんてメニューがありました。

(※社労士の視点=入院時食事療養費は1食につき 260円(一般))

午後3時~下剤の投与があります。
手術を無事に行う為に、腸の中をキレイにするためです。

午後6時、夕食。
これも常食。
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手術前日で緊張してほとんど食べれませんでした。
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午後8時、浣腸500ミリ。
腸管をキレイにするための前処理です。
しつこいくらいやります。翌朝も6時にこの作業はあります。

看護師さんに「5分ぐらい我慢してね!」と言われるのですが、
これは、意外に問題なくやり過ごせました。

寝る前に、麻酔科医から胃酸を抑えるための胃薬と、
よく眠れるようにマイスリーという睡眠薬が処方されます。

これは入院患者全員同じです。
術前で緊張して眠れない人が多いそうです。


もれなく私もそうでした。
眠れないので、綾小路きみまろさんのyoutubeを見てコッソリ笑ってました。
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翌朝8時半、家族が来ました。
手術棟は、家族が来ないと入れてくれません。
手術着に着替えて、9時に看護婦さんに呼ばれたので、
家族に付き添われて、自分の足で歩きながら手術室へ向かいました。

「今日は手術が多いからね~」

案の定、手術室の前の待合所は、ごった返し…

娘と母と妹とはそこでお別れ。

「行ってくるね!」
と元気に振る舞って手術室に入りました。

手術室に入るとすぐに、頭に白い帽子をかぶりました。
麻酔科医と看護師2人が、私を迎えに来てくれました。
「本日担当する●●と、●●と●●です。よろしくお願いします。」
と、自己紹介をされるも、頭に入らない。

私の手足は緊張ですっかり冷たくなっていました。
付き添ってきてくれた看護師さんが
「冷たいねー。大丈夫よ、みんなそうだから。心配しないで」
と言って、手を握ってくれ、背中をさすってくれました。

「ではご案内しますね」
看護師に付き添われ、私は自分の手術室へと、奥へ奥へと進みました。

手術室の中は何個も手術室がありました。

私は「はい、ココが冨樫さんのお部屋です」
と言われた部屋に入って、すぐに
「ちょっと高くなってますが、スリッパを脱いでここに上がってまっすぐ寝てください。」
と言われて、早々に手術台に上がりました。

左手の甲に、点滴が打たれ(これが一番痛かった!)、
そのあと麻酔科医の先生が
「少し眠くなる薬を入れますね」
と言われて、何か話しかけられて、うとうとしてる間に、
「次は強い麻酔を入れますね」
と言われて、数秒で私の意識は無くなりました。

どのくらいたったのか…

(38分だったというのは、あとから家族とドクターに聞くまでわかりませんでした。)

「冨樫さん、起きてください!」

ほっぺたを数回たたかれて、うつろうつろしている中、
どこかへ連れて行かれるのをなんとなく感じました。
私の口には酸素マスクが付けられていました。
そして、私はナースステーションの前の部屋に運ばれました。

家族は付き添っていたようですが、私は覚えていません。

麻酔が覚めてきてハッキリ感じるのは、お腹の「痛み」です。

看護師さんもよくわかっているので、
「どこが辛い、痛い?気持ち悪い?」など聞いてくれます。
すぐに痛みを告げて、ボルタレンの坐薬をしてもらいました。

術後3時間くらい経つと麻酔が切れてすっかり元気になったのですが、
痛み止めが切れるとまた「おなかが痛い…」

寝返りや、立て膝をしてもいいのですが、そう簡単に動けない…

さらに、フロートロンという、
血栓を防ぐ処置の機械が両ひざ下につけられているので、身動きがとりにくいのです。

この状態が翌朝まで続きます。

痛みと、寝返りが打てなくて、まったく眠れなくて困りました。
また、術後から時間の間隔は空いていきますが、血圧、検温があるため
どんなに寝ていても夜中も2時間ごとに起きてしまいます。

夜中にボルタレンを1回入れて、翌朝には頭痛もあって更に1回…
まさに薬漬けです。

この日、同じ婦人科系の手術をした人が7人、うち、夜、同じ部屋で過ごしたのは4人。
みんな、「痛い」「気持ち悪い」「熱い」「寒い」と訴えをしていました。
麻酔の副作用です。

手術で熱が出るのは、体に傷を付けるため、普通の反応だそうです。
これは仕方ないことですね。

それにしても、麻酔の副作用と手術の影響はすごいな…
と実感しながら、朝が来るのを待ちました。


3月28日(手術の翌日)

やっと朝が来ました。
翌日は、ベッドから起きて、自分の部屋に帰るまでが目標です。

24時間寝っぱなしだった私は、起きることにまったく自信がありません。
ベッドの角度をあげてもらうと、めまいがしてしまい、またもとに戻してもらいました。

しばらくしてから、看護師さんが
「起きてみようか?」

というので、持ち前の気合を入れてゆっくり起きてみました。

なんとかめまいもなさそうなので、自分で体を拭いたり、ベッドの横に足を下ろしたり
看護師さんにうまく乗せられ、騙されながら(笑)なんとか立ち上がることができました。

「自信ついたでしょ?」(笑)

そう言われて、その勢いのまま、自分の病室へ戻ることができました。

術後は点滴が、丸2日。56時間くらいしっぱなしです。
抗生剤や、電解質やら、何やら…
とにかく二本立てのこともありました。
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これを引いて、ガラガラ歩くわけです。

点滴は、こうして私の血管を通して送り込まれます。
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これは、やっている間はあまり痛みも感じませんが、
正直言うと、退院した今も手の甲が痛いです。



この日から胃の痛みがひどくなりました。
ボルタレンの連続投与と手術のストレスで、胃をやられたようです。
ドクターにガスター20を処方してもらいました。
(現在はすっかり治っています)

長沢有紀先生が福山さんの写真集を持ってお見舞いに来て下さいました。
(ちなみに、神田さんの本は途中まで読んでいたらあまりに怖くなって、
具合が悪くなってきてしまって読むのをやめました…)
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3月29日

夜6時過ぎ、点滴がやっと外れました。
手術から56時間。。。
どこへ行くにも一緒だった点滴がなくなり、左手も自由になりました。
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(完全にすっぴんです。「病院でフルメイクのほうがおかしい」と庵谷さんに言われたのでもうどうでもいいです。)
これは、夜こちらの方々がお見舞いに来て下さったときに「記念」?撮影して下さったものです。

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2日連続来て下さった長沢有紀先生、講演のあとに寄ってくださった松山純子先生、わざわざ都内から仕事のあとに駆けつけてくださった庵谷賢一先生です。

庵谷さんは、私の大好きなVIRONのレトロドールを持ってきてくれました~。
(そのほかにもいろいろね。)
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病室で「お腹痛い」のに大笑いするネタばかりのトークで
久々にすごく楽しかったです。
元気をもらいました。

そのほかにも、病院へ来る予定だったと言ってくださった方も沢山いて、
退院後も病院へ来て下さった方もいらして、本当に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。


3月30日(退院の日)

朝ご飯はしっかり食べれるようになりました。
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昼ご飯は久々のパン♪
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これを食べて、晴れて退院となりました。

病室にお会計が届きました…
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うちは、父と母と私の所得が合算されてしまうので、
上位所得者扱いです。
つまり、「限度額適用認定証」を出していてもこの料金。

さ、請求書を分析してみましょう!(※社労士の視点=職業病です、本当に病室でやりました。)

【高額療養費】

計算方法は、150,000円+(総医療費-500,000円)×1% 
(※69歳以下、多数該当を加味せず)

点数合計52,056×10=520,560円(=総医療費)

150,000円+(520,560円-500,000円)×1%=150,205.6円≒一部負担金150,210円

入院時食事療養費=260円×9食=2,340円

電気使用料(パソコン、携帯充電)と、その他(なんだか分からず)が560円

150,210円+2,340円+560円=153,110円

というわけです。

最後に
【生命保険からの給付金】(私の場合)

入院1日につき、14,500円×5日=72,500円
手術給付金が 20万円

合計 272,500円の予定。

これで自己負担分は全額カバーできます。(お釣りが来ます(^^))
この分に関しては、来年の医療費控除はなさそうです(笑)

元気なうちに、入っておいてよかった…と本気で思いました。
皆さんもいつどうなるかわからないと思います。

私もまさか自分が手術するなんて思ってもみませんでした。

保険屋さんのまわし者ではありませんが、
健康なうちに生命保険に入って備えておくのは、よいことだと思います。

手術したおかげで、私もいくつかの保険にはもう入れなくなりましたので…
ことが起きてからでは遅いんですよね…

健康保険だけでは限界があります。
私の場合、高度先進医療などの治療の必要がなかったからこの程度の自己負担で済みましたが、
これがもっと重病であったら、もっと負担が大きくて大変なことになっていたと思います。

「備えあれば憂いなし」とはよく言ったものですね。
震災や南海トラフの件も含め、日頃から「万が一」に備える姿勢を持っていないと…
と思います。

それ以前に、健康でいることが目標ですね!

こんなに体力を奪われ、自由を奪われ、
「健康であること」がいかに素晴らしいことなのかを実感いたしました。

皆様も十分ご注意くださいね!

数々の応援、本当にありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

当面は、じっくり焦らず、体の調子を見ながら療養と仕事をしてまいりたいと思います。

長い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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