高山恭子から林礼子らしい女性が試合を見に来ていたことを知らされた斉藤夏輝は、また礼子に会ってみたいという思いが強くなった。
公式戦は終わってしまい、試合を見に来るのは夏になるだろう。
練習を見に来る人たちもいるので、その中に礼子がいないか気になって、練習中に集中力を欠くこともあった。
それではダメだと自分でも分かっていたが、でもどうしても気になって仕方がない。
実際に会って話をしてみたい。
そう思った夏輝は、彼女と出会ったコンビニに行く機会をうかがっていた。
寮では特別な用事があって、監督や寮長から特別に許可が出ないとコンビニに行くことが出来ない。
使い走りみたいなものだが、寮を出られる絶好の機会とあって、上級生が進んで行くことが多かった。
そして今日、その絶好の機会が来た。
新入生の歓迎会なのだ。
今年は4月の時点で有力な投手が6名も入った。
ファースト以外の全ポジションで新入部員がおり、外野以外はレギュラー候補となりそうな選手がいる。
サードの蛭間に関しては、すでに秋以降のレギュラー候補だ。
蛭間渉(20240145)
歓迎会用のお菓子を買うために、夏輝はその役目を買って出た。
かたくなに一人で行くと言い張った事に一部の生徒は訝しんだが、エースでキャプテン、非常に信頼されている夏輝だったため、そのまま送り出された。
道中の数分間だったが、夏輝の心には期待と不安が入り混じっていた。
礼子がいない可能性だって結構高い。
結局このドキドキが肩透かしになるのがオチな気がした。
ドラマみたいなことがある訳ないなと、自分自身で思い込むようにした。
…
いた。
レジに礼子がいた。
急に緊張してきた夏輝は、気が付かないふりをしてお菓子を選び始めた。
どれにしようか探すふりをしながら、夏輝はどの様に話しかけようか、必死に考えた。
正確には、必死に考えた事を反芻していた。
お客さんが少なくなった頃を見計らって、夏輝はレジにお菓子を持って行った。
今度はこちらから声を掛けた。
「やあ、林さん。お疲れ様。」
「お疲れ様、夏輝君。部活が終わったところ?」
「今日は1年生の歓迎会なんだ。それでお菓子を買って来たんだ。」
そこまで話して、夏輝は意を決して用意していた言葉をかけた。
「林さん、もしかして試合見に来てくれた?」
礼子は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに腑に落ちたような表情になった。
「そうそう、あの美人な人、学校の先生なの?」
「ああ、それも野球部の顧問の一人で、林が来ている事を教えてくれたんだ。見に来てくれてありがとうね。」
「でも夏輝君、わたし名前は言わなかったけど。」
「小学校の時の知り合いって言われると、林さんしか思い浮かばなくて。」
そう話しているうちにコンビニにお客さんが入ってきた。
肝心な事を言わなくては。
「LINE交換したいけど、寮内でスマホが使えないんだ。良かったら手紙くれない?」
言い終わった後で、夏輝は急に汗をかき始めた。
心臓から口が出るとは、まさにこの事だ。
こんなこと言って、あきれ返られたらどうしよう。
「うん、分かった。寮に送るね。」
夏輝が拍子抜けするほど、いともあっさり礼子は応えた。
それもとびっきりの笑顔で。
その後の事は、夏輝は覚えていない。
1年生の歓迎会が終わる頃にキャプテンから挨拶をと言われて、慌てて我に返って当り障りない言葉を述べた。
いかんいかん、と夏輝は思った。
少なくとも練習中は、集中しなければ。