最高気温は21℃。
風も穏やかで絶好の野球日和となった。
春季大会は注目されることが少ないため、観客は熱心な高校野球ファンのみだ。
林礼子の様な若い女性は殆ど無かった。
殆ど…という事はゼロではないという事だ。
礼子の他に一人、若い女性が来ていた。
黒のワンピースに波打つようなロングヘア。
大きめのイアリングと赤味がかったサングラス。
場違い感がとんでもない。
あの人、一体誰なんだろう…
礼子は気になって気になって仕方がなかった。
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「あれ、高山先生だよな。」
「絶対そうだろう、あの先生以外にあんな格好する人はおらんだろう。」
旭が丘高校のベンチ内でも同じ女性が話題になっていた。
しかし、彼らはその正体を知っていた。
高山恭子。
野球部OBの高山慎一の姉で、この4月に旭が丘高校に赴任してきた、れっきとした高校教師だ。
昨年も弟の試合を見に何度か球場に来ていた。
その時のトレードマークだった真っ赤な帽子は被っていないものの、相変わらず目立つ格好、隠しきれないオーラで球場全体の注目を集めている。
「先輩は卒業してしまったけど、何で見に来ているのかな?」
「分からん、単に野球を見るのが好きなだけなんかも。」
生徒たちの頭は?マークで一杯になったが、切り替えて目の前の試合に集中しようグラウンドに散っていった。
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試合が始まり、斉藤夏輝が初回のマウンドに立った。
抜群のキレとコントロールで初回を3者凡退、わずか数分で抑えた。
野球のことはあまり詳しくない礼子だったが、凄いピッチングをしているって事は伝わってきた。
礼子の知っている夏輝はちょっと勉強と運動は出来るけど、クラスの人気者といった感じでもなく、どちらかと言えば目立たない存在だった。
その夏輝がマウンドで圧倒的な存在感を持って輝きを放っている。
礼子は夏輝の一挙手一投足を、ただただ羨望の眼差しで見つめていた。
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試合は1回裏に旭が丘らしい攻撃がさく裂し、一挙に優位に立った。
チーム1の俊足、久保田輝人がヒットで出た後にすぐさま盗塁。
やはり俊足の3番西脇がゲッツー崩れで塁に残った後、偽装スクイズで盗塁。
5番笠原、6番児玉のタイムリーで3点を奪った後、チーム1の著打力の持ち主、7番山口がホームランで締めた。
斎藤はその後も好投を続け、出したランナーは全てエラーの3名のみ。
三振、ゴロ、ライナーですべてのアウトを奪い、ひとつもフライがないというらしさ全開の内容で、5回参考ながらもノーヒットノーラン、無四球の完璧な投球だった。
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試合後、礼子は胸がいっぱいになった。
野球に詳しくない彼女でも分かるほどの素晴らしいピッチングを見せてくれた感動と、小学校の時の同級生に対する羨ましい気持ちと、今の自分の不甲斐なさと、様々な感情が入り乱れていた。
試合が終わった後もしばらく立ち上がることが出来ず、トンボで整理されているグランドを見つめ続けていた。
その時、不意に後ろから声を掛けられた。
「もしかして、斉藤君のお知り合い?」
ハッとして振り返ってみると、あのオーラ全開だった女性が立っていた。
「ごめんなさい、突然声を掛けて。斉藤君の投球を食い入るようにじっと見つめていたので、お知り合いかなって。学校では見ない顔だったし。」
「は、はい。知り合いって言っても、小学校の時に一緒だっただけですが。」
「斉藤君、凄かったよね。明日は土曜日だし、よかったらまた応援に来てね。」
そう言って恭子は後ろ手を振りながら去って行った。
「誰なんだろう、あの人?」
礼子と恭子は、同時にお互いの事をそう思った。
礼子はただでさえ混乱していた感情がさらに混乱し、収拾がつかなくなることによってかえって落ち着いた気がした。
恭子は「斉藤君も隅に置けないね。」と独り言を言いながら、明日も”仕事のために”球場に来ないといけないなあと考えていた。