上野天満宮(菅原神社) | 史跡巡りのブログ

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県道56号線(銀座通り)と大和通の交差点を東に進むと、上野天満宮の鳥居が見えてきます。この辺りは、古地図ではちょうど外堀の外側沿岸にあたります。秋も迎え、境内に生える樹木の葉先が赤茶色に染まっていました。




享保3年の地図






東大手門があったところには、跡を示す石碑が建っています。石碑後方にある建物は、上野観光案内所です。また、西へ数百メートル行ったところには、西大手門跡の石碑があります。この門跡周辺にも、いくつか古い家が残っています。






鳥居後方には、総門(市文化)があります。さらに門をくぐると、鐘楼(市文化)、本堂、手水舎、南門近くには筆塚が建てられています。






この社は、もともと上野山平楽寺に祀られていた農耕祈願のための神社でしたが、天正9(1581)年、お城の鎮守として藤堂高虎が現在の地へ移しました。平楽寺は、前記事でも紹介しましたが、伊賀上野城内にあった平清盛創建と伝わる寺院です。また、当地出身の松尾芭蕉は、この神社で自身処女作「貝おほい」1巻を奉納され、自身の学問成就を祈願しました。