『常識』という言葉をよく使う人がいますが、さて、常識とは何ぞや?

常識(じょうしき)は、社会的に当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう[1]対義語非常識(ひじょうしき)。*Wikipediaより


前にフランス人は大統領のような地位も権力も兼ね備えた男性には愛人がいて当たり前。といった考えがある話をしましたが、日本人からすればそれが常識とは、とても言えないことでも、国が変われば常識も変わるわけです。一夫多妻制の国もしかり。


親が子育てをするさい、この「常識」という言葉をよく使うと思います。これは、どの親も日本人なら全員が同じ常識という価値観を持ってるとも限りません。これも親によって常識が異なってきます。


常々思っていたことがあるのですが、私の母親は世間体をもの凄く気にする人でした。不良っぽい子と仲良くなり、その子が家に遊びに来ると、あからさまに嫌な顔をしてました。また、勉強もスポーツも芸術も、並以上でないと有り得ないといった口ぶりでした。

まぁ…私は、正直なところ親の満足感のために生きるなんてまっぴらごめんだわ。といって親の顔色を伺うような子供でもなく、これが不幸中の幸いといったところですかね。

敢えて言いづらいことを言うと

常識や世間体に縛られている親ほど子供にとっては毒親と化します。


そこで、自分が子供を産み育てるときに、自分の親を思い出すようになりました。


勉強はできないよりはできた方がいいに決まってる。ただ、自分の親のような言い方はしたくない。でも、子供が思うようにいかず親に反抗した態度を取ると私は叱らずに耐えられるか?と想像したわけです。

それに、親の立場上

友達は選べ

とは、なかなか言えません。


そんなとき、私立小を受けないか?と言われ、自分が公立小育ちから私立小受験なんて考えもしなかったところ

いや、まてよ?

私立小なら厳しく躾けられた子の割合は多いだろう。そうなると小学生の間に植え付けられた価値観は、一生ついて回る。それなら、私立小に通わせる価値はかなり高いのではないか?と、ふと…思ったわけです。


そして、通わせてみて高校生にもなると、その考えはドンピシャ当たりました。


それは、当たり前と言われる挨拶や、目上の人に対する考え方。また、普段からの所作。それと1番大事な将来に対する考え方。


これは、中学受験で入ってきた子達ではなく、基本的な考え方が身につく小学生からでないとだめなのです。


もちろん、公立だからだめと言ってるわけではありせん。ただ、厳しく躾けられた子が多い中で育つと、親がうるさく言わなくても、周りも似たような躾をされて育ってきた子が多いため、親が躾ても学校に行くとその躾が頓挫することはなく勝手に維持してくれ、中高生にもなると板についているわけです。



友達のおうちにお呼ばれしたときは、手土産を持参し、玄関先で保護者の方に挨拶をし、玄関で帽子を取りコートを脱ぎ、靴を揃えて上がるという躾をしても、そういう躾をされていないおうちに呼ばれたとき、そんな行動をしたときには逆に異質扱いをされるのは、自分の子育ては無意味となってしまう。また、習い事で忙しくしていて、近所の公立だと友達ができずに浮いてしまう?とかを考えると、我が子を私立小それも女子校向きと言われたのは、おそらく私の子育ても女子校向きだったと思ったわけです。


また、突発的なことで、どちらが悪いわけではないことでも、『ごめんなさい』。手を差し伸べられたり褒められたときは『ありがとう』。これをともかく何度も何度も言わせるようにしてました。


そうして、子供にも常識という価値観が出来上がっていくのですが、中学から入ってきたいわゆる、中入り生達と交わると、この辺の親の躾に対しての感覚が、割と違ってたりしたのも子供達から聞いてました。でも、だからといって幼稚園や小学生からの内部生と中学からの外部生との隔たりは全くないですが、やはり出来上がった常識がかけ離れている子とは率先して友達にはなりません。特に外部生達が恋愛話や男の子の話をしているのを聞いて、幼小からの女子校育ちには、興味もない会話で、そういう会話ばかりしている子達に対して、

『他に興味のあるものはないのかしらね。男の子の話ばかりして一緒にいると同じように見られるから距離を置く』


と、私のような男は星の数ほどいると言う親からは想像もつかない言葉が出てきて、これはこれで、私の母親のように素行の悪い友達を家に呼んだとき機嫌の悪い態度をせずとも済んだというわけです。そもそも素行の悪い友達とは仲良くならないと言うことです。

また、いけないことをしたときは親もすぐに

『うちの子がご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした』などと、すぐにお詫びの連絡がきたりして話がややこしくならずに済むことも多かったです。

ともかく、親として怪訝な態度を取る場面は免れ、子供の環境は大きく、ある意味環境を買ったと言えば高い学費でもなかったと思ったわけです。

また、子供の価値観は一生ものです。この価値観が決まるのが小学生時代から、私立小受験を勧めてくれた人がいたのも、私が自分の考えを貫いた躾を2歳前からしたといったものが引き寄せたのか?と思うところでした。


そのようなことから、常識というのは、ある枠組みの中では決まっていることを指すわけで、生き方や人間性ということには当てはまりません。世間の狭い人に限って常識というワードを駆使しがちではないでしょうか。


もちろん、大学生となった我が子達は、今でも私立小出身の友達ばかりかと言えばそんなことはないです。それでも、価値観や感覚が似てなければ友達にはならないため、小学生時代に何を常識とし、何を当たり前として育ってきたかは、将来大きく影響するということを大学生になった子供を見てるからこそ理解できました。


また、子供の将来に関わる大学受験では、親の常識を一度考え直したほうがいいと思う人は割といました。

そもそも、今の大学受験を知らないのに理系だの文系だのと言う親いて、そこに親の言うことを聞こうとする子供もいることに驚きました。


受験事情を知らない親の言うことを聞ける子も、どちらも将来に対してあまり真剣でもないのかと思ったものでした。


また、塾なし東大出身の親の場合、我が子も塾なしでも東大ぐらい狙えると思い込んでいる親は割と今でもいます。子供の時代と親の時代は違うのに、塾なし東大出身はかなり自分でも優秀と思うのも理解しますが、子供も同じだと疑わないのも、東大出身ですら思い込み自分のなかで常識が作り上げられてしまってるのです。


ここでの落とし穴は、周りが東大出身の親だから助言しづらいのと、自分は優秀だから子供も当たり前と考えるのところですかね。

全くもって情報もない

陸の孤島化としてる状況です。


『いったい、いつの時代の話?』

今は、中1から塾に通ってる子が、中学受験を終えたトップ層でも多いのに、その中高偏差値から塾なしで東大狙えると考えているのだから、親の時代から受験だけは変わってないと思いこんでいてびっくりしたものです。

まぁ…こういう親を持つと塾も行ってないため、勉強のやり方すら迷走し、メンタルダダ下がりのお子さんを割と見てきたから言えるのですが、東大出身の親の子は、当然の如く東大に行けるのか?と言えば、統計から見ても意外とそうでもないです。実は、子供の知能は母親からと言うのを最近聞きますが、何も母親の学歴だけではなく行動力やIQと言った地頭が遺伝すると、某大学の教授の論文でも見たことがありました。


パリ五輪の女子スケボーのメダリスト達が、国は違えど全員の母親は日本人というのを聞いて驚きましたが、


『日本女性の遺伝子はスケボーに強いのかしらね~』


と、そんな話も家族でしていたところでした。


因みに、私の母は癌で亡くなってますが、母が亡くなったとき悲しいというより


『お母さん、来世は常識や世間体に縛られず、自分の思うまま自由な人生を選んでね。産んでくれてありがとう。そして、お疲れ様でした。』


と、心中語りながら見送りました。

そして初盆を迎えます。


ここで、お盆だからというわけではないですが

お墓参りは自分が今世で経験できることへの感謝の気持ちを伝えることでもありますので、お盆に予定のない方は、ぜひご先祖様のお墓参りに行かれてはどうでしょうか。

お墓の周りの草むしりをし、お墓にお水をかけて綺麗にし、ロウソクに火を灯し、お水とお線香と仏花を添えて手を合わせてくるのもいいですよ。

自分のご先祖様ですから、良くなることがあっても悪くなることはないです。

ご先祖様は、今の自分をわからせてくれる大事な方々です。五体満足で普通に知能も備えているならば、親をはじめご先祖様のおかげです。また、産まれた家など親ガチャと言うなら、前世からの自分の行いにも原因はあります。そこから親のせいではなく自分で親と離れる決断もすることもあるかもしれません。親を反面教師にすることもあるでしょう。そう、産まれた境遇からどう生きるのかは、全ては自分で決めるのです。そして自分で決めて納得できたのなら、

ああ…この親だからこそ自分で決められた。だから自分は、この親でなければいけなかったんだ。と、理解できれば、どんな境遇であろうと親であろうと感謝の気持ちが自然に湧き上がるものです。そうすればご先祖様にも感謝することができます。

仮に、もしも、この域に達してなくとも、ご先祖様のお墓参りをすれば、ご先祖様だって喜んでくださるのだから、良い方向に応援したくもなります。

でも、良いことがあるからといって見返りを求めて墓参りするのは変だよね?


ではなく、鶏が先か卵が先か?ではないですが、こういう意味が分かればお墓参りが先でもいいのです。お墓参りは、感謝の気持ちがたとえ嘘だとしても、見返りを期待しても、ご先祖様のためにお墓に行き、お墓を綺麗にし、ロウソクやお線香に仏花を購入して時間もお金もかけて行動することに意味があるのです。


とりあえず、人1人が言う「常識」という言葉に振り回されずに自分でしっかり理解することです。


自分の人生は常識で決められるものではなく自分で決めるものです。

そして、自分で決められ行動できるのは、親やご先祖様あってのものです。


自分1人だけで誕生した人なんて、

この世に1人もいませんからね。