「青い朝顔」です。
おはようございます。
夜に書いた記事は子宮委員長はるちゃんのリブログでしたが、
今度ははるちゃんのパートナーでいらっしゃる岡田さんの記事をリブログ。
最初ははるちゃんをきっかけに岡田さんを知ったのですが、
最初は「?」という印象だったものの、
本日あらためてブログを拝見すると、
けっこう良かった!
なんか…
たとえて言うならば、自立した、芯のある女性を見るような
そんな感じです。
不思議と「女性らしさ」を感じたのです。
どんなところが?というと、
「笑顔で色々(自分自身の不要なところも含めて)バッサリ切り捨てそうなところ」
です。(あり方に無駄がないんです。)
で、
岡田さんが書かれているように、●●の許可をとる(ワタシ的に言い換えると、●●の指示通りにやる、妄信的に●●の真似する)と、何かしらの結果が出ても
「●●の言う通りにしたらできた!●●さんすごーいアナタニツイテクイウトオリニスル」
or
「●●の言う通りにやったのに失敗した。●●のせいだ。オマエナンカキライシネ」
ってなる。
私はモロにそうでした。
今でもけっこうそうだけど
そうなっちゃうと、ホントに、自分がなくなる。
これが人ではなくて自己啓発ツールが対象だったりすると…
たいていそういうときって、カリスマ的な人が実行しているメソッドの行動的な部分(上っ面)を真似するんですけど、実が伴ってないから、すんごい疲れる
たとえて言うならば、成功したアイドルがやっているからという理由だけで、ひたすらウサギ飛びをやっているような徒労感
私は、「『ありがとう』って●●回言う教」で、それやりました。
これをひたすらやっていたときも↓
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本当は、その根底にある精神状態(気持ち)が大切だったのだろうに…。
鬼の形相で感謝してましたから
「ありがとう」
「ツイテル」
「今日はこんなにいいことがあった」
何やってもうまくいかなかった。
対象が人でも、同じようなことやってる。
人の言うことばっかり聞いてた。
罵られるから、罵られないために言うこときくのに、さらに罵られる。
昼寝している小さな子供二人と夫を置いて、日用品の買い物に出掛けたら、その間に子供たちが目を覚ましたらしく、
「お前のせいでちゃんと寝れなくて頭痛がするだろぉ!何てことしてくれるんだ!」
と、怒鳴られ、
夕飯を三角コーナーにぶちまけられました。
ちなみに私、その頃もフルタイムの正社員で仕事してましたよ
それでも、「次からは、怒鳴られないように、子供たちも買い物に連れていこう」
とか考えちゃう
で、疲労しまくって
環境の悪さに絶望してました。
今は、環境をすっかり変えました。
それでもあの頃の私には
「自分の本心を出して世間から否定される」よりも「かわいそうな人」として世間から認められること
のほうが良いと思えたんですね。
「かわいそうな人」って、魔の避難場所だと思う。
自分の魂と引き換えに、すべてが許されてしまう。もう、嫌な思いして戦わなくてもいい。
ただし、二度と幸せにはなれないけれど。
それでも、
幼いあの日のように、傷つくことはない。
どっちが良くてどっちが悪いわけでもないけれど、
疲れたら、生き方を変えてもいいかもしれないと思う。
読んでくれて、ありがとう
チキンな朝顔が自分の素になれる貴重な場所です。