㊼玉鬘 弐 | 吉備路残照△古代ロマン

吉備路残照△古代ロマン

吉備路自転車道を回って以来すっかり古代吉備国の残り香に取り憑かれました。
歴史と神話が絡み合っているから多くの遺蹟の故事来歴が謎に包まれています。
鬼ノ城・温羅伝説・鳴釜神事等の謎に新しい解釈を加えていけるので楽しみです。

源氏物語名場面㊼

 

玉鬘 弐

 

 

 

都府楼跡/太宰府政庁正殿跡

【都府楼跡】

には2、3度足を運んだことがありますが、

後年同地を整備したのであろう

【太宰府政庁正殿跡】

には訪れたことがありませんでした。

7世紀後半

から12世紀後半にかけて

九州を統括する行政機関として

し『西の都』としての役割も果たしました。

 

福岡県太宰府市公式ホームページ

 

《遠の朝廷》とも

 

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幼い玉鬘母親/故夕顔が恋しいのか、

何度となく乳母にたずねた。

 

「このお舟、母君の所へ行くの?」

 

返事ができずに乳母

娘たちがすすり泣くので

太宰少弐が低い抑えた声で制した。

 

「舟路に不吉だから、泣くのはやめなさい」

 

 

筑紫の《大宰府》に着いた。 

 

乳母娘たちは遥かな都を

思って懐かしさに涙することもあるが

玉鬘

心から大切に思って暮らしている。

 

夕顔の行方が分からないまま

都を離れたので

なおさら玉鬘が寂しい思い

しないよう心を配っている。

 

 

大宰府で暮らすこと17年、

玉鬘成人して

母の夕顔以上に美しく成長した。

 

 草深い田舎育ちとは思えないほど

垢ぬけていて気品があり

秀でた歌を詠む教養人でもある。

 

九州北部の

有力者たちから求婚者が引きも切らない。

 

任期が終って

帰京しようとした矢先、

太宰少弐が急な病で倒れた。