浅茅ケ原
春日大社一の鳥居あたりのなだらかな丘陵地帯in奈良公園
〇 春日野の 浅茅が原に 遅れいて
時ぞともなし わが恋ふらくは
万葉集 (作者不詳)
春日野の浅茅が原に一人残されていて
絶える時はありません。私があなたを想うことは。
方向を見失ったのは、それから無難な春日大社表参道をそれて、何度か訪れている安心感から、夜の『浅茅が原』に踏み込んでからであった。
昼間なら、広々とした芝生に鹿が群れをなして遊ぶ、長閑でなだらかな丘陵である。
また隣接する『飛火野』や『雪消の沢』、『鹿苑』とともに万葉集に詠まれ天平の大宮人たちに愛されてきた土地である。
これらの地名は、いかにも典雅でゆかしい。
今でも、春や秋には、東大寺や興福寺などの見学に疲れた観光客や修学旅行生などの、絶好のくつろぎの場となっている。
夜陰に手探りながら、老松の木立の間をさまよった。
時々、かすかに鹿が動く気配を感じる。
水面が微かに光っている池は『鷺池』か、『荒池』か。
『浅茅ケ原』にいるのか、それとも『雪消の沢』なのか。
夢遊病者のようにあてどなく、天平の闇をいっとき彷徨した。
そんな時である。
東大寺三月堂の『月光菩薩』や聖林寺の『十一面観音菩薩』、秋篠寺の『技芸天』などが次々に樹木の上の暗闇にほの白くぼうっと立ち現れては、虚空に去っていった。
めくるめく幻想の中で、私は、なぜか母親の胎内を思っていた。