未申生まれの人の守護神
国宝・大日如来像(奈良・円成寺/ポストカードより)
仏さまの話はなかなか難しい。宗派の違いもあるし、神社との兼ね合いもあるからだ。とくに如来さまは様々な捉え方があって、信心されている教えととても違っていたらごめんなさい。
今回取り上げる「大日如来」という仏さまは、最も宗派によって存在の表現が違う仏さまである。ちなみに、大日如来は、絵画も含めて国宝と呼ばれるものは日本には1体しか残っていない。もっと言えば、4大如来(大日、阿弥陀、釈迦、薬師)の中にあって、国の文化財指定(国宝or重要文化財)を受けている数の最も少ない如来さまである。
○大日如来=アマテラス?
奈良の大仏「盧舎那仏」
ところで、大日如来とはどんな仏なのか。
以前少し話をしたが、「如来」というのは、仏さまの中で最も上位にいる仏を指して呼ぶ言い方である。“悟り”に達しているので、基本的に粗末な姿(すべての欲がない)をしているのだが、大日如来だけは、頭に冠を頂いていたり、装飾品をまとっていたりする。他の如来は、持ち物や印相(両手の指の形)で見分ける必要があるが、大日如来は智拳印を結んでいること(トップの写真参照)以上に装飾で見分けやすい。
また、仏さまの姿はほとんどがブッダの変化形なので、大もとは同じである、という考えであるが(正確には違う仏さまもいる)、大日如来は他にも増して、近しい別名の多い仏さまである。たとえば、奈良・東大寺の大仏「盧舎那仏」は大日如来の別名であるし(日本へ入ってきたのは盧舎那仏の方が先)、伊勢神宮の祭神・天照大神は大日如来と同一と考えられ、また、富士山を信仰する浅間神社の仏さまも大日如来だと言われている。
少し難しい話をするが、仏教もキリスト教やイスラム教のように、いろんな宗派や派閥があって、特に大事にしている仏さまがちょっとずつ違っている。教えが成立した時期(歴史の中では数百年の差がある)の新旧による衝突もある。大日如来は、比較的古い方の宗教に大事にされてきた仏さまである。今、日本の国内に大日如来の仏像が少ないのも、あながちこの歴史と関係がないわけではないと思う。日本の仏教も、古いものを打ち壊して、自分たちの信じる仏さまに置き換えていった時代があったのだろう。
たとえば、4大如来のうち、日本の仏像で国の文化財指定が一番多いのは阿弥陀如来で350件、10体の国宝を含んでいる。阿弥陀さまで有名なのは、鎌倉の大仏さま(国宝)だ。
次に多いのが薬師如来で253件、国宝は13体ある。
で、3番目が釈迦如来の123件、国宝は8体。
大日如来は77件しかなく、ダントツに少ないのだ。
国の文化財指定の比率から言えば、大日如来は阿弥陀如来の2割強の数にすぎない。これは、それぞれの宗派の信者の数と無関係とはいえない数字だと思う。
○東京には3つの重要文化財如来が
運慶を一躍有名にした東大寺の仁王像
大日如来は、仏さまの世界観の中心にいるとか、一番上位の仏さまだと言われ、未と申年生まれの人の守護。つまり、2015年と2016年が年男・年女の人たちの守り神さまだ。
さて、東京で重要文化財(1体の国宝は奈良にある)の大日如来を拝みたいと思っても3体しかない。東京国立博物館と根津美術館、そして真如苑という仏教系の宗教法人が持つ文化施設に祀られているのみである。
7年ほど前、日本のお寺がクリスティーズのオークションに如来さまを出品、日本の団体が落札したというニュースがかなり流れたのでご記憶のある方もいるだろう。あの仏像が真如苑の大日如来である。今年4月から、この如来さまを一般の人にも見せてくれると聞き、私は飛びついた。落札直後に東京国立博物館に展示されている時、見損ねた仏像だったからだ。一般公開とは言っても、美術館とは違う。信者さんの同行なしでは拝顔はかなわないのだが、知り合いに信者さんがいる私はちょっとツイていた。想像していたよりだいぶ小さい仏さまだったが、運慶作と伝わるだけの迫力ある仏像だった。台座と光背が残っていたら、間違いなく国宝指定を受けられのではないかと思わせるほど。
ちなみに日本で唯一の国宝の大日如来、奈良・円成寺の像(トップの画像)も運慶作だ。
○都内のお寺で大日如来とお会いするなら
如来寺の大日如来
この他、お寺で大日如来を拝顔するとしたら、本尊として祀られているのはほとんどが真言宗のお寺になる。真言宗と言っても、弘法大師を祀るところもあるので“逆また真ならず”なのだが、高幡不動尊、等々力不動尊のご本尊は実は大日如来だし、玉川大師玉眞院、亀戸七福神の普門院、弁天洞窟のある威光寺、湯島の霊雲寺などもご本尊として祀られている。
また、ご本尊ではなくても護国寺や天台宗の目黒不動尊や養玉院如来寺、聖観音宗の浅草寺の影向堂や銭塚地蔵堂にも大日如来が鎮座している。
高幡不動尊の大日堂
だが、正直…今でも名のあるお寺にはあまり残されていないように思う。
弘法大師が有名になりすぎたのか…キリスト教的に言えばマタイやルカが有名になったのと似ているのかも。いや、宗教の機微をよく理解していない私が言うのは僭越だろう。
東博の大日如来はこちらで見られるし、根津美術館のものはこちら。でも、やっぱりその迫力は実物にはかなわない。そう考えれば、美術館に入った仏像はやっぱり信仰ではなく、芸術なのだろうか。お賽銭もあげなければ、願い事などしないわけだし。じゃあ、お寺にある仏像が美術館に出張してきた場合はどうなるのだろう? 出開帳のひとつと考えれば、博物館は立派なパワースポット、ということになりはしまいか? 東京は美術館や博物館の宝庫である。
但し、行けばいつでも展示されているわけではないので、残念なことであるが。
根津美術館には大日如来の絵画がある
日本は開国・維新と引き換えに、多くの仏教美術を失った。それでも檀家や親切な神社が近くにあったお寺さんは、大事な寺宝を助けられただろう。だが、(もちろんきっと無責任な寺守もいただろうけど)多くのお坊さんたちは、泣く泣く仏さまを壊し、隠し、売り払うしかなかった。お堂をそのままにしていなくなった所もあっただろう。
だが、バブルの頃以降、古い寺宝の多くが日本の美術館や博物館に戻り始めている。公立の機関をのぞけば、それらの多くは大手企業の文化事業や新興の宗教団体が起こした美術館である。まさに時代はめぐる……宗派を超えて美術品を守り続けてもらえるならば、こんなありがたいことはない。