小澤征爾さんのご冥福をお祈り申し上げます。 | 三ヶ根の祈り のブログ

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 去る令和6年2月6日、

世界中から愛された不世出の大指揮者 小澤征爾さんが亡くなられました。

 

 満88歳でした。

 

 心から哀悼の意を表させて頂きます。

 

 

 

 今を去る17年前の2006年6月。

 

 私は、松本市に隣接する安曇野市の会社に出向を命ぜられ、

生まれて初めて、故郷の愛知県を離れて、松本市内に居を移した。

 

 それから6年間、職住共に、彼の地で暮らすようになった。

 

 

 毎年夏になると、松本市内が、

「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」一色となって盛り上がっていた頃だ。(※)

(※:2015年から「セイジ・オザワ・松本フェステイバル」に改称)

 

(フェステイバルのオペラ会場 松本市民芸術館  松本市ホームページより)

まつもと市民芸術館

 

 そうした中、縁あって、

私が赴任した会社(デンソーエアクール<株>、当時はGAC<株>)も、

企業メセナの一環として、2007年から、

小澤さんが主宰されていたフェステイバルを賛助させて頂くようになった。

 

 

 フェステイバルの事務局からは、

賛助会社に対して、コンサートや打ち上げパーティの案内が送られてくるので、

私も、社員たちと共に何度か出席させて頂いた。

 

 

(2007年9月の打ち上げ・・・今では私の「お宝写真」👇)

 

(同上・・・小澤さんと客演指揮者の広上淳一郎さんとの掛け合い漫才風のご挨拶も)

 

(同上・・・フェステイバルのコンサートメンバー<どなただったか失念🙏>とも歓談)

 

 

(2008年9月の打ち上げ 👇)

 

(同上・・・小沢さんのために駆け付けて来られた、

   ベルリンフィルの首席クラリネット奏者 カール・ライスターさんにサインを頂いた。

 

(2009年9月の打ち上げ 👇)

 

 

(2009年9月 ファイナルコンサート終演時の会場風景👇)

 

 今、こうして当時の写真を見ていると、

お元気な頃の「世界の小澤さん」のお側に立たせて頂き、

直接その謦咳(けいがい)に接しさせて頂いたことに、

言葉には言い尽くせぬ幸福感と感謝の気持ちが湧いてくる。

 

 

 私が小澤さんを身近な存在と思うようになったのは、

こうしたパーテイで、ご一緒させて頂いたことが理由の一つ。

 

 

 しかし、それ以上に私が心底 小澤さんを尊敬するに至ったのは、

小澤さんの日常の生活風景の中で、

その飾らないお人柄を、垣間見る機会があったからだ。

 

 

 以下、少し長くなるが、そのエピソードを記して置きたい。

 

 

 小澤さんは、フェステイバルの期間中(7月~9月)、

定宿を、松本市内の「ホテル・ブエナビスタ」に決めておられた。

 

(ホテル ブエナビスタ・・JTBのネットページより拝借)

外観

 

 確か2008年9月のフェステイバルコンサート当日の事だった。

 

 

 私は、その日の夜の小澤さんのコンサートに、

仕事の関係でお世話になっている取引先の客をご招待していた。

 

 

 その客の宿泊ホテルが「ホテル・ブエナビスタ」だったため、

コンサート会場までご案内させて頂くべく、

午後6時少し前から私は、ホテルのフロント前ロビーのソファに腰かけながら、

客が部屋から出て来られるのを待っていた。

 

 

 コンサートは、午後7時開演である。

 

(「ホテル ブエナビスタ」のフロント前ロビー)

ロビー

 

 上の写真の中程にフロントが見えるが、私が腰かけていたソファは、、

そのフロント前の大きな柱の下に置かれていたソファだった。

 

 

 具体的には、写真のこちら側に向いているソファだったが、

ちょうど正面玄関を見渡せる位置にあった。

 

 

 私は、雑誌か新聞を広げながら、客の出て来るのを待っていたのだが、

暫くすると、私の後ろの方、ちょうどフロント前の柱の反対側で、

ガサゴソと、何か作業でもしているような音が聞こえた。

 

 

 何かなと思って、ふとそちらの方を振り向いて見ると、

フェステイバル会場でボランティアスタッフたちが着ているのと同じシャツを着た、

年配のおじさんが、向こう向きにしゃがんだ格好で、

宅配用の段ボール箱に、一生懸命何か品物を詰め込んでいる姿があった。

 

 

 私はそれを見て、フェステイバルの裏方を務めるスタッフの人たちも大変だなぁと、

感心しながら、再び玄関の方に向き直った。

 

 

 そうした間にも、夜のコンサート会場に向かう着飾った紳士淑女たちが、

私の座っているソファから、ほんの数メートル先を、

足取りも軽く、そして、小澤さんのコンサートを聴ける喜びを隠そうともせず、

楽しそうに談笑し合いながら、ホテルの玄関に向って歩を進め、

次々と玄関先から、会場へ向かうシャトルバスに乗り込んでいくのが見えた。

 

 

 そして直に、フロント左奥の方向から、私のお客様がやって来るのが見えたので、

お迎えしようと、私はソファから立ち上がったのだが、

その時、何気なく、

まだ段ボールの詰め込み作業を続けていた「おじさん」の方を見やると、

一瞬、その「おじさん」の横顔が見えてしまった!

 

 

 私は、ビックリして思わず腰を抜かしそうになった。

 

 

 何と! その段ボール詰め込み作業の「おじさん」は、他でもない。

 

「小澤さん」その人だったのである!!

 

 

 直ぐ近くを、コンサート会場に向かう紳士淑女らが行き来していたのだが、

誰も、フロント前ロビーの片隅にしゃがみ込んで、

段ボールの詰め込み作業しているおじさんが、まさか、それから約1時間後に、

当夜の主人公となる「世界のマエストロ 小澤」さんとは気が付かなかったのだ。

 

 

 すぐ側のソファに腰かけていた私でさえ気づかなかったから・・・。

 

 

 察するに、その時の小澤さんは、コンサートの諸準備に時間を取られて、

予定していた宅配荷物の梱包作業が中々出来ず、

ようやくコンサートの開演直前になって自分の時間が持てたので、

寸暇を惜しみながら、自身で作業をなさっていたのだろう。

 

 

 それにしても・・・、「世界の小澤」ではないか!

 

 

 何も自分の手を煩わせて作業せずとも、宅配の梱包作業など、

フェステイバルやホテルのスタッフに指示すれば、済むことであろうに・・。

 

 

 しかし小澤さんは、フェステイバルで多忙なスタッフたちを気遣って、

指示することも命ずることもなされず、自身の手で作業をやり終えられたのである。

 

 

 この姿を見て私は、小澤さんが、ご専門の音楽だけでなく、常日頃から、

他人を気遣い、謙虚な姿勢で、雑事を疎かにせず、下座に降りることも厭わない、

そうした生き方を実践してみえる方と強く感じた。

 

 

 

 以上が、私が実際に体験したエピソードだ。

 

 

 彼に接した多くの人が、小澤さんの「気さくさ」を称賛する。

 

 

 その「気さくさ」の依って立つところを、

私はホテル(ブエナビスタ)のフロント前で垣間見る事が出来た。

 

 

 日本だけでなく世界の音楽家の心を鷲づかみした小澤さん。

 

 

 聴く者を魅了して止まなかった小澤さんのオーケストラ音楽は、

類まれな彼の音楽才能と共に、

彼の日々の真摯な生き方から生み出されたものと確信したのはこの時からだ。

 

  

 小澤征爾さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

小澤征爾さん 信州の足跡 小澤征爾さんのプロフィール】 恩師の ...

 

 

  (三ヶ根観音・・・令和6年2月12日 撮影)

                   合掌