(保存版)戦没者慰霊園に吉兆の龍雲出現!(令和5年末から令和6年初の出来事) | 三ヶ根の祈り のブログ

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 令和6年の年初にあたり、

昨年(令和5年)末から、今年(令和6年)初の印象的な出来事を、

思いつくままに書き残して置きたい。

 

 

①龍雲の出現 (12月30日)

 

 独立歩兵第五十七大隊 慰霊碑の上空に出現した龍雲。

                👇

 

 

 この日(12月30日)の午後は好天だった。

 

 が、上空は風が強かったせいか、青空の中、

筋状の雲が、幾筋も形を変えながら現れては消えていった。

 

 

 その中に、まるで龍と見まごうような雲形が幾つも現れ、

眺めていて興趣が尽きなかった。

 

 

 来る令和6年(2024年)が「辰年」であるだけに、

この日に三ヶ根上空に出現した龍雲は、正に「吉兆」!

 

 

 

 

 

 

 

②ウクライナ人女性 ターニャさんが三ヶ根に来訪 (12月30日)

 

  下の写真👇で、ターニャさんを中にして、向かって左側が三ヶ根観音の副住職親子、

 右隣が「わらべ工房」の稲吉さん、右端が小生。 

  

  写真は彼女のパートナー、Mさんに撮って頂いた。

 

 

 

  彼女は、ウクライナから日本の大学に留学されていたが、

 そこで同じ大学に在籍されていたMさんと知り合われたという。

 

  Ⅿさんは、三ヶ根観音副住職の従兄にあたる人。

 

  そうした関係から、ここ数年、お正月の前になると、

 彼女は、パートナーのⅯさんと共に、東京から三ヶ根に来られ、

 三ヶ根観音本堂の前で、初詣参拝客への御札やおみくじなどの販売を、

 お手伝いしてみえる。

 

 

  この日(12月30日)、

 小生は初めて、少し彼女とお話させて頂く機会が持てた。

 

  日本語がとても流ちょう。

 

 

  ウクライナ国旗が掲げられている「安徽観音(あんきかんのん)」前で、

 CDラジカセのウクライナ国歌を流させて頂きながらの会話だ。

 

  

 

  「ロシアの侵攻後、(彼女の)両親は日本に来ており、

 身の危険が無いことは幸いですが、

 肉親(お兄さん)がウクライナに残っているのが心配。

 一日も早く戦争が終わって欲しいです。」

 彼女の切実さが伝わって来た。

 

  

 「日本の多くの人が、

 物心両面でウクライナとウクライナ人を支援してくれるので嬉しいです。」

 会話の中で、何度も彼女は感謝された。

 

 

 「ロシアからの攻撃だけでなく、ウクライナの中でも、親ロ派と反ロ派とが、

 同じウクライナ人同士で戦っているのが残念です。」

 そう語る彼女が少し悲し気に見えた。

 

 

 「かつてソ連が崩壊した時、ウクライナは独立を契機に、

 それまで保有していた核兵器を全てロシアに引き渡してしまった。

 ウクライナは、核のない平和国家を目指したが、

 今にして思えば、そのまま核兵器を持っていれば、

 ロシアからの侵略を抑止できたかもしれません。」

 彼女の率直な思いなのだろう。

 

 

  小生からは彼女に、

 「激しい戦争下にあって、祖国ウクライナへの行き来もままならない中、

 生活習慣の全く異なる日本で暮らしておられるターニャさんや、

 そのご家族のことを思うと、何も言葉が出ません。

 

  せめて、三ヶ根の戦没者慰霊園に、ウクライナ国旗を掲げさせて頂き、

 心ならずも亡くなられたウクライナ国民の皆様のご冥福と、

 一日も早い、戦争終結をお祈りさせて頂くばかりです。」

 と申し上げた。

 

 

 

③三ヶ根観音戦没者慰霊園の奉仕活動10周年の記念色紙の贈呈(11月末~12月)

(色紙の表側)

 

(色紙の裏側)

 

 

 色紙表側の「聖観世音菩薩」絵図、裏側の墨筆、

いずれも、現三ヶ根観音管主、小笠原寛明師の直筆。

 

 10年前に奉仕会が結成されて以降、

今日まで変わらず、継続してご活動頂いている方や、

物心両面で、変わらぬご支援を下さった方、

合わせて6名の方々に、奉仕会から贈呈させて頂いた。

 

 

④冬季戦没者慰霊法要の斎行(12月9日)

 

 

 法要の開始は、午前10時半から。

 それまでの1時間余り、慰霊園内の清掃奉仕をさせて頂いた。

 

 

 法要では、定例の大東亜戦争戦没者、自衛隊殉職者の慰霊法要に加え、

1944年(昭和19年)の日中戦争「大陸打通作戦」での戦死・戦病死者、

ならびに、個人法要として、この春にお亡くなりになられた、

磯部和郎様の奥様の追福菩提も弔わせて頂いた。

 

 

 磯部さんは、奉仕会の結成直後から奉仕会活動にご参加頂き、

物心両面で会を支えて下さっている方。

 

 

 御年92歳でご壮健。 

 この日は、ご在住の名古屋市からのご参会である。

 

 

 また、この日は、磯部さんを始め、いつものメンバーに加え、

東京からわざわざ急遽,小生の旧友Ⅰさんもお参りに来て下さった。

 

 

 

⑤銀座のお寿司屋で会食(12月6日)

 

 

 小生は現役時代、2006年から6年間、

長野県安曇野市の会社に単身出向していた。

 

 

 その時、仕事を通じて知り合った方で、

お互いにクラシック音楽のファンという事もあり、

小生が退職した後も、親しくして下さっている

Ⅰさんという友人がいる。

 

 

 彼は、松本市の中心地に建築設計事務所を構え、

その堅実で誠実な仕事ぶりで高い信用と評価を得ておられる。

 

(Ⅰさん)

 

 

 4年ほど前だったかと記憶しているが、

Ⅰさんは、お知り合いから、銀座の新ビルの建築設計を依頼され、

長野の仕事は事務所の社員に任せて、

本人自ら東京に居を移し、設計に専念することになられた。

 

 

 コロナを経て、ようやく仕事も一段落したという今年の中頃、

一度、東京で食事をしようと言う話となり、

12月6日、彼が設計したビルの1階に店を開いた、

Ⅰさんお薦めのお寿司屋で会うことになったという次第。

 

 

  ビルは、銀座の歌舞伎座の直ぐ近く。

 

  寿司屋の名前は「おけい寿司」と言うのだが、インターネットでは探せないようだ。

 

  元々は他の場所にあったが、このビルの建築に合わせて移転したと言う。

 

 

   大将によれば、創業は戦前。

 

  気さくな大将の口から出た、かつての常連客の名前は、

 愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ)、小林秀雄、大岡昇平、北大路魯山人・・。

 

  昭和の錚々たる人物の名前が出て来る。

 

   

  小生はと言えば、握りや海鮮など、眼の前に出されるままに、

 美味しい美味しいと、口に放り込んでいるばかりだが、

 次第にお腹の方も満たされて来た。

 

 

  最近では、寿司屋と言えば、地元の回転(クルクル)寿司で、

 腹一杯食べて満足しているぐらいの小生である。

 

 

  それが、久しぶりにカウンター席に座り、

 Ⅰさんや大将と楽しく語らいながら、

 腹一杯美味しいお寿司を食べるのだから、

 すこぶる気分は良い!😄

 

 

  が、帰り際、

 そっと手渡された勘定書の請求額を見て、

 急に目の玉がクルクル回ってしまった!と言うことは冗談として、

 この日の会食は、今年の忘れられない楽しい思い出となった。😅

 

  

  実は、この会食の3日後の12月9日、思いがけずⅠさんが、

 先述の三ヶ根定例清掃奉仕会&戦没者慰霊法要に、

 東京から、駆け付けてくださったのである。

 

 

⑥令和6年 お正月の三ヶ根観音 (令和6年1月2日)

(三ヶ根観音 初詣)

 

 

 小生夫婦は、お正月2日に初詣参拝。

 

 この日は、風も無く好天に恵まれ、絶好の初詣日和。

 

 前日の元旦、思いもかけず、能登地方を大地震が襲ったが、

本堂前では、三ヶ根観音御本尊「聖観世音菩薩」に向い、

今年再び大きな災害が起きることのないよう、そして

諸事平穏に過ごせる年となる事を祈念申し上げた。

 

 

 

 本堂の前では、日除けの麦藁帽子を冠った、

二人のウクライナ女性が、お守り袋や破魔矢の販売をご担当。

 

 その二人の女性とは、下の写真👇の、

向かって左側のターニャさんと、右側のマリアさん。

 

 ターニャさんについては、先に当ブログ内でご紹介させて頂いたが、

マリアさんは、そのターニャさんのお友達。

 

 お二人は揃って、6年ほど前から、お正月の三ヶ根観音で、

御守り販売のお手伝いをされるようになったと言う。

 

 

 この日、お守り袋の購入をきっかけに、

初めてマリアさんと声を交わさせて頂いた。

 

 

 マリアさんは現在、茨城県に住んでおられ、

筑波大学で言語学(日本語)を研究しておられると言うことだった。

 

 

 記念に写真を撮らせて欲しいとお願いした所、

眩しい西陽が差す中、イヤな顔一つせず、

二人が笑顔で応じて下さったのが嬉しかった。

 

 

 

 別れ際に、お二人に対し「(諸事)頑張ってください!」とお声掛けし、

三ヶ根観音本堂を後にした。

 

                拝

 

 

(風になびく、日の丸・ウクライナ国旗・台湾国旗       撮影:令和6年1月2日)

 

 

(「新年初祈祷受付」や、日中戦争「大陸打通作戦」日本軍勝利の模様を伝える案内板)

 

 

(伊勢湾口の神島<かみしま>を直射する日光       撮影:令和5年11月27日)

 

 

 

                     以上