今年の12月10日は、第2次世界大戦(日本名:大東亜戦争)で、
中国大陸での、日本軍と、中国国民党軍&米軍との最大激戦となった、
「大陸打通作戦」(日本側正式作戦名:一号作戦、中国側呼称:豫湘桂会戦)が、
日本軍の勝利で終結して79年目となる記念すべき日。
この作戦は、1944年4月に開始され、
明治に建軍された日本陸軍の「史上最大の作戦」とされている。
ウイキによれば、
この作戦で、日本軍50万人、中国国民党軍100万人の兵士が動員され、
日本軍戦死・戦病死者10万人、中国国民党軍戦死傷者75万人に上ったという。
三ヶ根の戦没者慰霊園には、この作戦に参加した部隊の慰霊碑が幾つかある。
(独立歩兵第五十七大隊 慰霊碑)
(野砲兵第百四聯隊慰霊碑)
(歩兵第百八聯隊の碑)
当時の日本にとって、太平洋戦争の苦しい戦局を打開する決め手の一つとして、
ベトナムから中国大陸を縦断し、満州・朝鮮半島に至る物流ルートを確保し、
更に、日本本土への米軍爆撃機の発進基地となっていた、
中国大陸内陸部の米軍航空基地を壊滅させることが喫緊の命題とされた。
下の図👇は、「大陸打通作戦」の概要図。
(「もう一度学びたい大平洋戦争」<西東社刊>より)
(大陸打通作戦で進軍する日本軍機械化部隊・・・ウイキより拝借)
(桂林・柳州で戦う日本軍兵士たち・・・同上)
下の図👇は、大陸打通作戦の結果、日本軍が占領した範囲(下図のオレンジ色部分)
(図はウイキより拝借)
作戦の結果、日本軍は膨大な犠牲を払いながらも、
華北から華南に至る約2400キロにわたって途切れることなく、
中国大陸の主要都市を結ぶ鉄道路線沿いを広く占領して、
南北間の物流ルートを確保し、中国大陸を東西に分断!
同時に、桂林・柳州などの米軍巨大航空基地も制圧!
日本軍の大勝利! 実に痛快!!
(日本軍に制圧された桂林の米軍航空基地)
上記写真は、井上祐子氏著
「別所弥八郎とアジア・太平洋戦争末期の報道写真
=大陸打通作戦従軍関連写真を中心に=」から拝借させて頂きました。感謝。
だが、中国大陸では、国民党軍と米軍航空戦力を弱体化させたものの、
日本本土は、サイパンなど太平洋方面からのB29爆撃機による激しい攻撃を受け、
ついに日本は敗戦の憂き目を見ることになった。
もし第二次世界大戦で日本が勝利を収めていたら、
間違いなく「大陸打通作戦」は日本陸軍「史上最大の作戦」として、
末永く後世に伝えられることになったことであろう。
しかし、
第二次世界大戦に敗れたからか・・・
現共産中国への遠慮からか・・・
日中戦争への無関心さからか・・・
戦後わずか80年にして、
この「大陸打通作戦」については、ほとんど語られることもなく、
忘れ去られようとさえしている。
79年前、作戦大勝利の瞬間を喜び合うことも無く、
厳しい戦いの中で亡くなられ、
中国大陸に骨を埋めることになった数多くの日本の若き兵士たち。
(独立歩兵第五十七大隊 慰霊碑背面に刻まれた戦没者の御名前)
👇
=大陸打通作戦の戦没者も数多く含まれている=
在りし日の彼らに思いを馳せ、今は静かに、彼らのご冥福をお祈り申し上げたい。
合掌
(今秋の野菊たち)
拝