昨日(2月26日)、
愛知県豊田市にある故美濃部正氏(元海軍少佐で元航空自衛隊空将)の墓苑に
お参りさせて頂きました。
私は、2017年の春に、既に故人となっておられた氏のことを初めて知りましたが、
その後、私が奉仕活動させて頂いている慰霊園内に、
氏が創設された「芙蓉部隊」の隊員のお名前が刻まれている慰霊碑がある事が判ったり、
私が氏の卒業された高校の後輩にあたることや、
私の勤め先が、氏が自衛隊退任後に勤められた会社でもあった、などということが
次々と明らかになり、そうした機縁で、ここ4年ほど、毎年6月12日の御命日を初め、
年に数回の墓参をさせて頂いています。
美濃部さんは その最晩年の平成8年(1996年)に、
自らの戦争体験を綴った「戦記」を書き下ろされました。
現在これは「復刻版 大正っ子の大平洋戦記」として、
方丈社から出版されています。
が、私の手元にあるものは、その原典版👇ともいうべきもので、
夫人の篤子さんが発行者となられ、平成11年5月27日に刊行されたものです。
この書の最後を、美濃部さんは、
日本の未来を担う人々に向けたメッセージで締め括っておられます。
現下の日本を取り巻く状況を思う時、大変示唆に富む言葉であり、
以下 その大意を記させて頂くことにします。
「我々大正っ子は、天皇親政国家の下、富国強兵、
国を愛し近隣の諸国を同一家族のごとく仲良くするために、
これを阻害する敵には身命を捧げて戦うべく育った。
学校の先生、新聞、ラジオ、文豪、ジャーナリストは、これを讃えた。
政治や経済もこれを支えて、日本国民の「世論」となった。
しかし、その結果が あの敗戦。 誰を恨む筋合いもない。
日本民族が自国中心の国家体制を最善と考え、アジア諸国に強要した独善性の過ち。
問題はこの教訓を正しく認識し、同じような過ちを繰り返さないことだ。
平成っ子たちよ、君たちは別の意味の太平洋戦争を繰り返そうとしている!!
戦争反対、平和と自由、経済繁栄、生活優先、
これらが君たちの未来に向けての「世論」だ。
しかし、このような虫の良い独りよがりが世界に通ずるものか。
世界の7割は今も飢餓に苦しみ、安住の地とその権益を拡大しようとしているが、
それは当然の事で、そのために紛争は起きる。
グルメに浮かれる日本人が、「世界は仲良くしよう。」と訴えるだけで、
それが叶うと思うのか?
自由主義経済は資本と技術が進んだ先進国が勝に決まっている。
それで後進国が付いてくると思うのか?
福祉・環境も同様。今の日本人は独善的に願望を唱えるのみ。
太平洋戦争で「撃滅せよ、必勝を期す」の統帥部の命令と同じ。
いずれも具体策がない。
平成の若者よ、心から平和を願うなら日本人の生活を50%切り下げよ。
そのお金で、飢餓民族の経済発展を支援せよ。
今の日本人にその覚悟と実行力無くして世界平和を唱える資格は無い。
日本の経済発展は、日本人独力でなし遂げたと自惚れてはならぬ。
米国が敗戦国日本に対して、寛大な占領政策を成し、
日米安保条約のお陰で莫大な軍事費と労働力を経済発展に廻すことが出来、
かつ、米国の進んだ科学技術、経営管理方式を学んだからである。
私は自衛隊創設にあたって米軍と折衝した。
その過程で大変恩義を感じている。
米国との友好信頼を失って、どの国と仲良く出来ようか。
天を恐れ、常に慎ましさを忘れないで欲しい。
平成8年12月12日」
美濃部さんが、この言葉を述べられたのは、
満81歳で亡くなられる、ちょうど半年前の事でした。
ガンを患われ、不自由な体に鞭打つようにして、
その2年ほど前に購入されたワープロの説明書を傍らに置いて、
自らキーボードを操作しながら、懸命に書き進められたと、
この書の「あとがき」で、三女の竹内聡子さんが述べておられます。
80歳を超えてなお、
病身に鞭打ちながらキーを叩かれるという御姿は、
正に「鬼神もこれを避く」ほどのものではなかったでしょうか。
翻って昨今のオリンピック組織委員会の会長職を巡る老人たちの醜態や、
80歳を過ぎてなお、
物知り顔で闊歩している中身の薄い政財界のご老体たちの実態を知るにつけ、
美濃部正さんの「掛け値なき立派な生き様」に感激します。
美濃部正さんについては、過去の下記ブログでも述べさせて頂いています。
以上