遠いキリバスから80年振りの英雄里帰り (戦没日本軍兵士、遺骨DNA鑑定で身元判明)  | 三ヶ根の祈り のブログ

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 先月末(8月26日)、南太平洋のキリバス共和国で収骨された日本軍

兵士のご遺骨が、DNA鑑定によって、お一人の身元が判明し、ご遺族にお骨が戻った というニュースがNHKなど各社から配信されました。

(当稿の最後にコピーを掲載)

 

 実は、私は2007年に、初めて海外戦地巡拝をさせて頂いたのですが、

最初に訪問したのが、このキリバス共和国でしたので、このニュース、

大変嬉しく、また感慨深いものがありました。

 

 キリバスは、日本からは非常に遠い国で、私が訪れた時も、直行便などは勿論なかったので、一度オーストラリアのケアンズまで行き、そこからフィジー経由で入国しました。日本を発ってから3日目にようやくたどり

着けたという国です。

 

(上空から見たタラワ島  2007年5月 撮影:私 以下同じ)

 

 昭和18年(1943年)10月、日本海軍の陸戦隊4200名が守備する、

この国の要衝タラワ島に米軍が大挙侵攻してきました。 しかし、徹底した水際防衛線を構築していた日本軍は、上陸を敢行しようとする米軍に対し一歩も引かず、逆に甚大な損害を与えました。

 

(今も残る激戦の跡)

 

 これは「タラワの戦い」として知られ、米軍と互角以上に戦ったタラワの

海軍陸戦隊員たちは、日本軍の英雄と言ってよいかと思います。

 

 しかし、日本軍が優勢だった戦いも、増援を繰り返す米軍に、ついに

力尽き、この戦いは終了しました。

 

(現地住民の庭に集められていた日本軍兵士のヘルメットや武器)

 

 

 米軍は、タラワ島での日本軍の頑強さや、水際作戦の巧みさに驚き、

この後続く、サイパン・グアムやフィリピン・沖縄での上陸作戦を根底から見直したと言います。

 

 

 戦後、厚労省とご遺族が中心となって、日本軍戦没者のご遺骨収容が

なされましたが、目が届きやすく、しかも日本軍兵士の御遺骨と想定され

やすい場所のお骨が対象となっていたせいか、戦後60年以上経った2007年の時点でも、まだ収骨数は数百柱という状態でした。

 

 私の巡拝の目的は、御遺骨の収容と言うよりも、戦地で亡くなられた

方々の慰霊は、できるだけその現場にて行わせて頂きたいという思いから、慰霊と感謝と顕彰を目的とした巡拝でした。

 

 しかし、この初めてのキリバス・タラワ島巡拝の途中、思いがけず、

何か目に見えない不思議な力に導かれるようにして、日本軍兵士の御遺骨が、無造作に積み上げられている場所に至りました。 

 

(タラワ警察署の裏庭に積み上げられていた日本軍兵士の御遺骨9柱)

 

 この御遺骨を目の前にした時の驚きは、今なお鮮明に私の記憶の中に

あります。

 この御遺骨が余りにもお気の毒で労しく思いましたので、違法とも知らず、

一部のお骨を日本に持ち帰り、松本のお寺に一時的に納めさせて頂き

ました。

 

(御遺骨を一時納めさせて頂いた松本市の兎山寺<とせんじ>)

 

 その後、私が現地で対面した御遺骨は、2008年の初めに厚労省職員がタラワに赴いて収骨し、焼骨の後、日本にご帰還されました。

 その折、私が松本のお寺に一時的に納めさせて頂いた御遺骨も、厚労省内の御遺骨安置室で、タラワからの御遺骨と再び一緒になりました。

 

 その場には、私の他に、タラワでの戦没者のご遺族がお二人同席されておられました。

 

 ご遺族にとっては、それらの御遺骨が、「自身の肉親かもしれない」という思いがあったのでしょう。御遺骨を前にして、無言で合掌されながら涙ぐまれておられたことを今も憶えています。

 

 肉親を戦争で亡くされたご遺族の辛い思いを改めて知ったという瞬間

でもありました。

 

 この御遺骨のご遺灰は現在、千鳥ヶ淵の墓苑に納められています。

 

 こうした経験をして来たせいか、このたび新たに収骨された御遺骨の内、御一方の身元が判明したということに、ことのほか嬉しさと感慨を抱いたという次第です。

 

  今回めでたく身元が判明し、約80年振りに、その御遺骨が肉親の元に

戻られる事に、タラワで戦没された4200名の英霊の皆様 全てが、

自分のことのようにお慶びになっておられると拝察いたします。

 

 私からも心から「ご帰還おめでとうございます。」と申し上げます。

 

 

 <NHKデジタルニュース>

   遺品ない戦没者の遺骨 DNA鑑定で初の身元特定 遺族のもとへ

 太平洋戦争の激戦地の一つ、南太平洋のキリバス共和国で収集された戦没者の遺骨について、DNA鑑定で身元が特定され、日本の遺族へ

返されることになりました。遺品などがないケースでのDNA鑑定による

身元特定は初めてで、今後、遺骨の身元特定が進むことが期待されて

います。

 厚生労働省は、平成15年度から戦没者の遺骨の身元特定のためDNA鑑定を進めていますが、その対象となるのは、近くで名札が見つかるなど身元につながる遺品などがある場合に原則、限られています。

 条件が厳しすぎるという声が上がったことから、厚生労働省は、今年度から硫黄島とキリバス共和国のタラワ環礁で収集した遺骨については、
身元につながる遺品がなくても、DNA鑑定を行う対象に新たに加えて
いました。

 厚生労働省によりますと、このうちタラワ環礁で収集された162人分の
遺骨について、アメリカから検体の提供を受けDNA鑑定を行った結果、
先月、1人の身元が特定され、遺族のもとへ返されることになったという
ことです。

 タラワ環礁は太平洋戦争の激戦地の一つで、日本側の死者はおよそ4200人に上るとされ、一部の戦没者の遺族からDNAの照合に必要な
検体が提供されていました。

 遺品などがないケースでのDNA鑑定による身元特定は初めてで、今後も遺骨の身元特定が進むことが期待され、厚生労働省は、遺品がなくてもDNA鑑定を行う地域について拡大を検討する方針です。
 
                                                以上