新型コロナ感染 収束祈願 七神社詣り (その1) | 三ヶ根の祈り のブログ

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 新型コロナも幾分収束の兆しが現れてきた、この5月26日から29日まで、静岡県と神奈川県の

七つの神社を巡拝してきました。

 

 源頼朝公・北条政子ゆかりの三社(三嶋大社、箱根神社、伊豆山神社)、そして、霊峰富士の山麓に

鎮座まします四社(富士本宮浅間大社、東口本宮富士浅間神社、山宮(やまみや)浅間神社、村山浅間神社)です。

 

 いずれの神社も、今年初めまでは、外国人の旅行客を中心に、正に ”ごった返し”の状態でしたが、

現今の入国規制のお陰で(と言っては叱られますが)、今回の巡拝では、参拝者は数少ない

日本人だけという状態でした。

 

 森閑かつ、凛と張り詰めた空気の中、かつてないほどの神威と霊威に触れさせて頂きながら、

各社を巡り、新型コロナ禍の更なる収束を祈願して参りました。

 

 私なりの実感ですが、2000年以上にわたり、私達日本人が崇め続けて来た神々が鎮座まします

日本の神社では、神様は、単なる観光目的や物見遊山の騒々しい外国人旅行者は、歓迎すべからざる客として拒絶されておられるように思われてなりません。

 

 以下、2回に分けて、写真を交えて記させて頂きます。

 

(1)三嶋大社(5月26日参拝)

(社殿)

 

 

(三嶋大社入り口にある、安達盛長の警護跡)

安達盛長は鎌倉幕府合議衆13名の内の1人。 安達盛長の曽孫である安達泰盛の母親は、愛知県の

三ヶ根観音住職家の幡豆小笠原家の遠祖、小笠原長時の娘。

 

(大社に隣接する「伊豆魂神社」にある「日本陸軍 故増島善平大尉の顕彰碑」

 故増島大尉の顕彰碑が、大社に隣接するこの場所に建てられていることは、今回初めて知りました。

 

 太平洋戦争の緒戦で軍功を立てられた増島善平大尉は、三島市の御出身で、韮山中学を

卒業されましたので、ちょうど源頼朝公の流刑地であった「蛭が小島」の近くで生まれ育った方です。

 

 碑によれば、故増島大尉は、陸軍第229連隊の所属とありますが、この連隊は、愛知県豊橋市に

本拠を構える連隊でした。

 

 この第229連隊は、太平洋戦争の緒戦において、英国からの香港の解放、オランダからの

インドネシアの解放にあたって目覚ましい戦績を挙げましたが、その後、ニューギニア戦線で

連合国軍に敗れ、最後は、ニューブリテン島の有名なラバウルで終戦を迎えました。

 

 終戦の間近、そのニューブリテン島のズンゲン村という所で、後に「ズンゲンの悲劇」と呼ばれる、

第229連隊に所属する大隊長の玉砕命令に従わなかったという理由で、何名もの日本人将校が、

日本軍司令部によって処刑されるという痛ましい事件がありました。

 

 私事になりますが、私は2016年9月に、この悲劇の舞台となったズンゲン村を慰霊訪問しました。

 

(写真は、オーストラリア軍と日本軍が死闘を繰り広げたズンゲン川河畔での慰霊式典でのもの)

 

 伊豆魂神社顕彰碑の故増島善平大尉は、昭和17年に戦没されましたので、終戦間近に起きた

「ズンゲンの悲劇」は知る由もなかったのですが、故増島大尉と共に戦いながら、

このズンゲンまで転戦してきた仲間の多くの将兵が、この地で戦没されたことを思うと、

今回の三嶋大社への巡拝で、故増島大尉の顕彰碑に巡り合ったことに、感慨深いものがあります。

 

 なお、漫画家の水木しげる氏は、この第229連隊に所属され、氏が爆撃で片腕を失くされたのが、

このズンゲン村でした。

 

(2)箱根神社(5月27日参拝)

 (社殿)

 

 参拝客も少なく、この上もない静かな環境の箱根神社でした。 それゆえか、神殿だけでなく、

参道の木々や流れる雲、さらに、参道に打ち寄せる芦ノ湖の波の音にまで、今までに感じたこともない

溢れるばかりの霊威(パワー)を感じ取ることができました。

 

(新緑の箱根 大涌谷の遠望 =5月29日撮影=)

 

 

(3)伊豆山神社(5月29日参拝)

(社殿)

 

 

 鎌倉幕府を開府された源頼朝公は、日本古来の神仏を崇拝される心が極めて強い方でした。

三嶋大社、箱根神社、伊豆山神社へは、物心併せての惜しみない支援は勿論のこと、

自身の参拝にあたっては、何か月も前から精進を重ね、参詣は、幕府の数多くの重臣を伴われての

盛大なものであったと伝えられています。

 

 鎌倉幕府が潰えた後も、これらの神社がいずれも、時の権力者(後北条氏や徳川氏)によって

大切に護持され、現在に至っていることを思う時、この日本という国が、理屈ではなく、

往古の神々と、その神々へ帰依する心篤き為政者たちによって護り育まれてきたということを

肌で感じます。

                                                    以上