(保存版)「太平洋戦争指導者に対する痛烈な批判」=「百朝集」初版本に見る安岡正篤老師の思い= | 三ヶ根の祈り のブログ

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 安岡正篤氏は、明治三十一年に生まれ、昭和五十八年に亡くなられました。

 

 日本精神・東洋 思想に精通され、戦前は「金鶏学院」や「日本農士学校」を創設して、

日本の有為な青年育成に尽力されました。     

 

 日本海軍の山本五十六元帥が、若き安岡氏に師事された事はよく知られています。

 

 太平洋戦争終戦にあたっては、詔勅の加筆補正を担当され、

戦後は「師友会」を結成されて、政財界リーダの指導・訓導にあたり、

「歴代総理の指南役」として重きを成されました。

 

 その安岡正篤氏は、大正から昭和にかけての日本の支配階級、取り分け、

日中戦争や太平洋戦争を指導した軍部や政権トップらへの容赦ない批判を、

著書「百朝集」(初版)で展開されています。

 

 (百朝集 初版本)

 

 

 「百朝集」(初版)は、昭和21年6月に刊行されたものです。

 

 大戦中の昭和20年6月から12月にかけて記述され、

全百項目にわたる、古今の箴言・至言に氏の解説が付されています。

 

 

 特に、「特攻隊」については、若くして従容と死地に赴いた特攻隊員たちの壮挙を、

「感激」という言葉で顕彰されているのに対し、

「特攻」の名の下に、若く有為な日本の若者たちを死地に追いやった、

当時の戦争指導者らに対しては、口を極めて痛烈な批判の言葉を投げ掛けておられます。

 

 

 今年は終戦後75年目の節目にあたります。

 

 昭和20年、数多の日本の若者たちが、「特攻作戦」の名の下に、

訓練もそこそこに、ほぼ完璧な防御の沖縄周辺アメリカ軍に対して、

死の突入を余儀なくされました。

 

 あたら有為な人生を終えることになった数多くの戦没特攻隊員たちの壮挙に対して、

改めて心からの感謝を申し上げ、彼らの名誉と誇りを顕彰させて頂くと共に、

こうした異形な攻撃が、この日本で、今後二度と軍事や政権の指導者によって

繰り返されることがないことを祈念致します。

 

 

 以下、「百朝集」(初版)よりの抜粋です。

 

(1)「士の士たるゆえんは、死の難きに非ず。

 

 死に処するを難しとなす。

 

 生くべからずして生き、死すべからずして死す。 

 

 皆、道にあらざるなり。

 

 (義公行実)」

 

 

 安岡老師

 

 「特攻隊は誠に感激に堪えぬが、これを国内で煽動的に賛美する者が多い。

 

 この言葉の教訓を今の大臣大将の果たしてどれだけの人々が解しているであろうか。

 

 悲しむべきは、今の 日本の指導者たちの浅劣なことだ。

 

 さすがに出来た隊長は、特攻隊員を出さぬことに苦労したものである。

 

 死の覚悟が出来たら、今度は生きる工夫が大切である。」 

 

 

    

(2)「人に勝たんとすれば、先ず自らに勝て。

 

 人を論ぜんとすれば、先ず自らを論ぜよ。

 

 人を知らんとすれば、先ず自らを知れ。

 

 凡そ、外の勝つ所となるは、皆、内足らざればなり。

 

 凡そ 邪の勝つ所となるは、皆、正足らざればなり。

 

(格言聯壁)」

 

 

 安岡老師

 

 「日本はその道を誤った。

 

 敵に勝つことを考えて、自ら勝つことを知らない。

 

 敵を罵ることを勧めて、自らを論ずることを許さない。

 

 外勢の不利は、内政の不足しかも正義の不足であること、

 

 生産の振るわぬのも、資材や労力ばかりにあるのではない、

 

 正義の政治の不足によることを知ろうとしない。」

 

 

 

(3)「神有り、降る。

 

 恵王これを問いて曰く。

 

 これ何の故ぞや。

 

 答えて曰く。

 

 国の将に興らんとするや、明神降る。

 

 その徳を見るなり。

 

 将に亡びんとするや神また降る。

 

 その悪を視るなり。

 

 故に神を得て、以て興る有り、以て亡ぶる有り。

 

(左伝荘公三十二年)」

 

 

 安岡老師

 

 「神に対するこの敬虔な自覚があったならば、日本はこうならなかったであろう。

 

 神を涜すること、近代日本の指導者共ほど苦しいものはなかった。」

 

 

 

 

(4)「ちはやふる 神の社は月なれや まゐる心の うちにうつろふ。

 

(中江藤樹)」

 

 

 安岡老師

 

 「近頃(昭和20年7月頃)の神詣りには、

 神も賤しんで月のように雲隠れしたまふであらふ。

 

 偽善で固めたあの指導者共がよく神社に詣れるものだ。」

 

 

 

(5)「炎涼の態、富貴 更に貧賤より甚だし。

 

 妬忌の心、骨肉 尤も外人より甚だし。

 

 御するに平気を以ってせざれば、日々煩悩障中に、座せざることすくなし。

 

(菜根譚)」

 

 

 安岡老師

 

 「今度の戦争は、

(日本の)支配階級間に存在した甚だしい炎涼(※)の態を暴露した。

 

  支那事変も対米戦争も、国内戦争の反映に過ぎなかった。

 

  又戦災は、国民に妬忌の心の、

 骨肉縁者間に却って如何に激しいかの苦杯を満喫させた。

 

 どうか、これを善い試練にしたいものである。    

 

 (※)炎涼:人間生活の“いざこざ”の意

 

 

 

(陸軍少年飛行兵第10期生 顕彰碑  於 三ヶ根観音戦没者慰霊園)

 =少年飛行兵は、その卒業生のほとんどが特攻で亡くなられた=