(保存版)三ヶ根観音で北条時宗公の慰霊法要を斎行 (新型コロナ終息も併願) | 三ヶ根の祈り のブログ

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 2020年4月20日 三ヶ根観音本堂にて、

 鎌倉幕府 第8代執権 北条時宗公の慰霊法要を斎行させて頂きました。

 

 

 今日(4月20日)は、鎌倉幕府第8代執権、北条時宗公の命日です。

西暦1284年の4月20日に亡くなられました。

 

 享年32歳でした。

 

(北条時宗公 ウイキより拝借)

 

 公は、第5代執権北条時頼の嫡男として生まれ、

17歳で幕府の最高責任者である執権になりました。

 

 そして、西暦1274年、23歳の時に第1回目(文永の役)、

1281年、30歳の時に第2回目(弘安の役)の元寇(蒙古襲来)を迎え討ち、

これを撃退して日本の国難を救いました。

 

 

(第1回目 文永の役   蒙古襲来絵詞:ウイキより拝借)

 

(第2回目 弘安の役         同上   )

 

 

 第2回目の「弘安の役」の翌年、今から738年前の1282年。

 

 

 時宗公は、2度に渡る大戦での戦没兵士たちの菩提を弔うべく、

無学祖元を開山、自らを開祖として、鎌倉に円覚寺(えんがくじ)を建立しました。

 

(円覚寺山門  ウイキより拝借)

 

 

 2度の大戦で、

日本側は対馬・壱岐の島民や北九州の人々に多くの犠牲者を出しましたが、

元側も、朝鮮人、中国人、蒙古人に多大の犠牲者を出しました。

 

 犠牲者の数で申せば、元側の犠牲者は、日本側を大きく上回っています。

 

 

 

 円覚寺は、日本側だけでなく、

元側の犠牲者も併せて冥福を祈る寺として建立されました。

 

 

 元寇の国難は、元から日本にもたらされた国難ですが、

犠牲者の数は圧倒的に元側が多かったと言う点を捉えれば、

現下の国難である「新型コロナウイルス禍」も、中国からもたらされ、

しかもその死者数において、中国の方が日本を大きく上回っていることが 

お似通っているとも言えます。

 

 

 

 と、ここまで淡々と述べて来ましたが、

今日4月20日が北条時宗公の御命日であることを知ったのは、

実は、先週末の4月17日の事だったのです。

 

 

 先週末、奈良の歴史や寺院に詳しい知人からメールを頂き、

その中に、中宮寺の有名な弥勒菩薩の「みろく」に因み、

「み ろ く 」、すなわち、

数字の「3 6 9」のナンバープレートを付した車2台に遭遇したという

下りがあって、ちょっと興味を惹かれました。

 

(中宮寺 弥勒菩薩像 ネットより拝借)

中宮寺の国宝 慈悲の笑み、被災地包む - 日本経済新聞の画像

 

 

 私自身、そうした数字というものは、

単なる語呂合わせ的なものであっても、時に、霊的とは言わないまでも、

不思議な予兆や啓示となるものもあることを、

経験上知っている人間と思っています。

 

 

 そうした予兆や啓示を感ずるようになったのは、

十数年前、海外戦地巡拝をするようになってからのような気がします。

 

 

 ここから記させて頂くことは、少し「信じられないような話」ですが、

事実を述べさせて頂きます。

 

 

 知人は、「みろく」、すなわち、

「369」ナンバーの車を2台目撃した事から、

「弥勒菩薩が衆生に寄り添われるように、他の人に寄り添うように、

という啓示だったかもしれない。」とありましたが、

私は、すこし別の観点で読み解いてみようと、

次のような算術を行なってみました。

 

 

 「369」が2回という事は、369+369で、738。

 

これを年数と見ると、今年は2020年だから、例えば738年前と言うのは、

2020年ー738年=1282年になります。 

 

 そこで、1282年の主な出来事を調べてみると、

これが、北条時宗公が円覚寺を建てた年だった、と知ったのです。

 

 

 さらに、北条時宗公の生没年月日を調べてみると、

お生まれが1251年6月5日、亡くなられたのが1284年4月20日でした。

 

 このようなことを調べていたのが18日(土)だったので、

実に 命日は2日後に迫っていたのです。

 

 

 しかも、北条時宗公は、三ヶ根観音の住職家とも所縁のある方なので、

弥勒菩薩の「みろく=369」の読み解きから、

三ヶ根観音や北条時宗公に至ったということが、正直驚きでした。

 

 

 時宗公の正室は、

「蒙古襲来絵詞」や「徒然草」にも登場する安達泰盛公の妹であり、

その泰盛公の母親は、三ヶ根観音住職家の遠祖 有力御家人 小笠原時長の娘、

という縁に繋がります。

 

(安達泰盛 蒙古襲来絵詞 ウイキより拝借)

 

 さらに、依然ブログにも記させて頂いたように、

中宮寺のある奈良と、三ヶ根と、鎌倉は、飛鳥・奈良時代から、

一つの直線「レイライン(霊線」で結ばれているという関係にありますので、

今回の「みろく=369」も、結果として、

「北条時宗公」の御命日を前に、奈良と三ヶ根と鎌倉とが結ばれたことになります。

 

 

 

 しかしながら、「何故、この時なのか?」 という事になりますと、

それは正直、私にも分かりません。

 

 が、敢えてその意味を考えれば、

時宗公という人は、国難を救うために生まれて来られたような方ですので、

現下の国難である新型コロナウイルス禍の終息を、

泉下の時宗公に祈願すべきとの啓示だったかもしれません。

 

 いずれにせよ、小生として出来ることは、

北条時宗公の命日にあたる本日(4月20日)、

三ヶ根観音で公の追福菩提のお勤めをさせて頂くことと、

同時に、新型コロナウイルスの終息祈願を勤めて頂くこと、

この二つであろうとの思いから、急遽 法要を斎行させて頂きました。

 

(本日の三河湾    4月20日 三ヶ根観音戦没者慰霊園より)

        

                  拝