アドラー心理学でブレークスルーを巻き起こすブログ

アドラー心理学でブレークスルーを巻き起こすブログ

アドラー心理学やコーチングで学んだことの中から印象深かったことを中心に書き綴っていきます。
大学では心理学や哲学、福祉経営学を専攻しました。
読者の皆様もどこまでも広く深い心の探求を模索していきましょう。
そして、人生にブレークスルーを巻き起こしましょう!

  斎藤一人さんの本を読んでいて、なるほどと思うことがありました。
 それは 「我慢の我は、我が強いの我」 。
 我が強い人ほど、我慢する。
 我を克服した人ほど、我慢しなくても、うまく生きられるということです。

 

  これまで、多くの人と仕事をしてきましたが、この話には大いに納得しました。
 たとえば従順な態度の人には、2種類あります。
 過ちを指摘されたとき、反省する人と反省しない人。
 反省する人は、二度と同じ過ちを繰り返さないように、注意 します。

 

  一方、表面的に、頭を下げるだけの人がいます。
 内心では 「自分の方が正しいが、仕方なく我慢してやった」 と考えるため、反省しません。
 自分の考えを表明して、きちんと議論する勇気もないため、その間違いに気づくこともありません。
 このような人は従順そうに見えますが、実は、大変、我の強い人だと思います。

 

  逆に従順でない人も、2種類います。
 同じように、反省する人と反省しない人。
  従順ではないが、反省する人が、最も速く成長 します。
 なぜなら、過ちを指摘される回数が、圧倒的に多いからです。

 

  アドラーは、我慢について、次のように述べています。
 「我慢する」 とは、怒りをコントロールする方法であり、その発想そのものが、権力争いに囚われている証拠だと。
 怒りそのものを、コントロールしても、そこに反省や前進は見られません。
 それよりも、怒りを避けて、言葉と論理によるコミュニケーション をマスターしたいものです。

 

  日本では、よく、 「我慢が大切」 と言われます。
 しかし、本当に大切なのは、 「我慢」 ではなく 「忍耐」 ではないでしょうか。 
 「忍耐」 とは、古代から西欧に伝わる 「四元徳 (4つの徳) 」 の1つなのだそうです。 
 苦しくても、耐えながら、反省点を見つけて、改善を重ねることでしょう。

 

 他人と自分を比較する人は、相手によって 「他人より劣っている」 と感じます。
 アドラーのいうとおり、人は劣等感に耐えきれないので、早くこの状態を解消させようとします。
 ここで、もし相手との差が大きい場合は、なるべく近づかないようにするでしょう。
 自分以下の相手とだけ、つきあっていれば、劣等感を抱く恐れがないからです。

 

 反対に、もし相手との差が小さい場合は、そこに 「競争意識」 が生まれます。
  競争の先には、必ず勝者と敗者 がいます。
  敗者にならないためには、自分が勝ち続けるしかありません。
  さらに、勝ち続けても、いつ負けるのかと、心の安まる暇がありません。

 

 身近な人が幸せになると、自分が不幸になったと、感じる人もいます。
 逆に、誰かが不幸になると、自分が幸せになったと、感じる人もいます。
 アドラーは、他人と競争する人は、自分以外の人を、やがて 「敵」 と見なす ようになる。
  いくら成功しても、 「世界は敵で満ちあふれた危険な場所」 と感じると、述べています。

 

 他人と比較さえしなければ、他人より 「優れている」 とか 「劣っている」 と、感じなくなります。
 「他人と競争する」 という概念そのものが、存在しなくなります。
 健全な劣等感とは、 「理想 (目標) の自分」 との比較から、生まれるものです。
 だから、 「他人との競争」 ではなく、 「自分との戦い」 に、力を注ぐ べきです。

 

 「今の自分」 と、戦うためには、もう一人の 「理想 (目標) の自分」 の存在が、必要になります。
 もし、理想の自分が、世界で最も厳しい存在になれば、自分以外の人がやさしく思えてくる でしょう。
 一所懸命、自分と戦っていると、その姿を見て、 「頑張ってるね」 と、周囲の人たちから励まされるものです。
 その結果、 「世界はやさしい人で満ちあふれた安らかな場所」 に変わります。

 

 人間社会とは、実は、すさまじい競争社会なのかもしれません。
 しかし、他人との競争に明け暮れると、晩年まで、神経がもたないのではないでしょうか。
 そこで、あえて、 他人との競争に参加せず、未熟な自分とひたすら戦う。
 これが 「成功」 と 「幸福」 を、両方、手に入れる方法ではないでしょうか。

 人は、それぞれ異なる人生を歩んでいます。 まったく同じ条件で生きている人など、どこにもいません。

 だから、誰と比較することもできないし、比較すること自体が無意味 なのです。
 「それぞれの人が、それぞれの人生を歩んでいる」 、ただ、それだけのことなのです。

 

 しかし、多くの人が 「他人」 と比較して、劣等感に悩まされます。
 アドラーは、それを不健全なものと、述べています。
 もともと比較できないので、解決方法さえ見つかりません。 
 不幸を味わうために、あえて悩みを増やしているようなものです。

 

 「他人」 と 「自分」 を比較すると、神経をいたずらに消耗 させます。
 他人は無数に存在するため、終わりなき消耗戦から、抜け出せなくなります。
 それが原因で、精神的に疲れ、自分自身の成長や、重要課題への挑戦を、あきらめてしまう人もいます。
 結果的に、成果の乏しい、無気力な人生を送ることになるのではないでしょうか。

 

 だから、 「他人と自分との比較」 をやめる ことです。
 しかし、人間とは、何かと比較しなければ、成長 (成熟) する気になれないものです。
 成長 (成熟) が止まると、やがて人生がつまらなくなります。
 仕事に対しても、情熱や向上心が持てなくなります。

 

 それでは 「今の自分」 を、何と比較すればよいのでしょうか。
 それは 「理想 (目標) の自分」 です。

 アドラーは 「理想 (目標) の自分」 と、 「実際の自分」 との、比較から生まれる劣等感は、健全なもの と述べています。
 この健全な劣等感を、努力によって克服していけば、そこに成長 (成熟) を、実現させることができます。

 

  「理想 (目標) の自分」 は、必ず自分自身で考え抜く ことです。
 もし 「他人の願望」 を、優先させてしまうと、再び 「他人との比較」 の道に、逆戻りしてしまうからです。
 人生のうち、ごく一部のことを除けば、大半はどうでもよいことです。
 どうでもよいことは、周囲に合わせておけば、無用な摩擦も減り、つまらない時間も、節約できるのではないでしょうか。