斎藤一人さんの本を読んでいて、なるほどと思うことがありました。
それは 「我慢の我は、我が強いの我」 。
我が強い人ほど、我慢する。
我を克服した人ほど、我慢しなくても、うまく生きられるということです。
これまで、多くの人と仕事をしてきましたが、この話には大いに納得しました。
たとえば従順な態度の人には、2種類あります。
過ちを指摘されたとき、反省する人と反省しない人。
反省する人は、二度と同じ過ちを繰り返さないように、注意 します。
一方、表面的に、頭を下げるだけの人がいます。
内心では 「自分の方が正しいが、仕方なく我慢してやった」 と考えるため、反省しません。
自分の考えを表明して、きちんと議論する勇気もないため、その間違いに気づくこともありません。
このような人は従順そうに見えますが、実は、大変、我の強い人だと思います。
逆に従順でない人も、2種類います。
同じように、反省する人と反省しない人。
従順ではないが、反省する人が、最も速く成長 します。
なぜなら、過ちを指摘される回数が、圧倒的に多いからです。
アドラーは、我慢について、次のように述べています。
「我慢する」 とは、怒りをコントロールする方法であり、その発想そのものが、権力争いに囚われている証拠だと。
怒りそのものを、コントロールしても、そこに反省や前進は見られません。
それよりも、怒りを避けて、言葉と論理によるコミュニケーション をマスターしたいものです。
日本では、よく、 「我慢が大切」 と言われます。
しかし、本当に大切なのは、 「我慢」 ではなく 「忍耐」 ではないでしょうか。
「忍耐」 とは、古代から西欧に伝わる 「四元徳 (4つの徳) 」 の1つなのだそうです。
苦しくても、耐えながら、反省点を見つけて、改善を重ねることでしょう。