今日はひめこの退院日でした。おつおつおつかれ!!
短い入院でしたが、無事に手術も成功。
これで四度の手術を終えたひめこですが、今回で本当に最後の予定です!
がんばった
【写真】
『退院祝いのレストランごはん』
『斉藤和義さんのランチョンマットget』

麻酔で朦朧としているひめこは泣いたり大変不機嫌ですが、絵本を読む?と聞くと意外なことにうん、と答えてくれたので読みました。
読んでいる間は、涙もぴたっとやんで静かに聞いてくれて、さらにもう一回のリクエストしてくれたのでもう一回読んだよ。そしてそれをきっかけにとても静かにして、ぼーっとしたあとは眠りました。 絵本パワーに感動しました。
いつも寝かしつけのときお話を読んでいるので、パブロフの犬のように落ち着いたのかな?(笑)
本持って行って良かったです。
本と言えば、
私は東野圭吾さんの『人魚の眠る家』を持って行って、空いてるときに読んでいたよ。
ひめこの手術中も読んでた(笑)あとは麻酔で朦朧としながらひめこがテレビ見てる時とかも読んでた。
なんかスマホ見てるとひめこが大変なときに失礼な気がして、でも本ならまぁいいかなって。(笑)
『人魚の眠る家』は、
なかなか、深いテーマでした。
ネタバレだけど、脳死判定、
どこまでが生で、どこまでが死なのかの曖昧さから起こる残酷さ、複雑さ。
また、その価値観の自由や違いについて。
子どもの臓器提供。
それらの問題提起。
途中までうんうん、そうよねそうよね、と思って読むんだけど、途中から
ん?
あれ?
それもやるん?
ってなってって微妙に気がついたらずれていく感じが、ほんとに私もこの変なループにはまってしまうだろうなって思った。
【奇跡って起こらないから奇跡なんだ】
って台詞がすごく切なかったなぁ。
この人魚の父にあたるひとは仕事人間で大きな会社の社長さんなんだけど、この人は絶対理解できないって最初思っていたのに、仕事があるからか、お母さんよりも冷静に客観的に育児に向き合える面もあって、読者としてはそちらの目線の方がだんだん心地よく感じてきてしまう。
でも、『奇跡を信じてどこまでもやってみたい、許すことなら』っていう親の気持ちを、本の中では実現できるのだから、どこまでもチャレンジできたのは良かったんじゃないのって思った。
私なら、お金や技術があるなら、倫理の許す限り挑戦したいと当然思うだろう。
ただ思うのとやるのとでは、大きな違いがあるとは思う。どこでブレーキを踏むのか、踏めるのか。
たぶんそもそも祖母がうちの母とはタイプが違うからな。うちの母なら、絶対意見するだろうな。(笑)親任せにしたり、しない。図々しく、図太く、意見しまくりそう。(笑)
『生命』を考えたときに、私はそこに必ず本人の意志が少なからずあって、それを尊重するとこっていうのが当然根本にあると思う。
『相手』そのものがいるから『私』もあるわけだ。
『意志がないと思われる対象』相手にどこまで、またどのように関わっていくのだろう。
どんな関わりをするのが良いのか。目的は生存なのか。存命なのか。
奇跡を待っているのか。
望むことや求めることに応えたい、それを引き出したいと思うのが親心だろうが、『無』であるとされる相手にどう接していくのかが気になった。
『生きたい』それが、子どもの望む答えだと感じたのだろうか。
ちゃんと人格を尊重した関わりをするなら、手足を勝手に動かしたいと思うだろうか、リハビリ目的ならば良いが、最後には表情まで動かして笑顔だと可愛いからそれがいい、って言うのは、さすがに、ちょっと怖いなって思った。
もちろん表情筋は大切だと思うし、健康に良いと言われるとそうだろうが。
物理的に動かしてどうこうというのと、本人が楽しくて嬉しくて笑うのとは、どう考えても違う。結果としては同じように顔が動くのかもしれないが。
ただ、脳が謎の多い器官だからこそ、納得するまで挑戦したかったんだと思う。挑戦こそが目的となってしまい、対象を見ることを怠ってしまってはいけない。
医師や看護士さん、医療の専門家の方たちは確かに最大限努力してくださって、責任を持って発言する。だが、やはり親だと私は思う。
親がどのくらい熱心に頼むのか伝えるのか、話すか。結局は、人間だもの。だからこそ、心が動かされ、夫や研究者の協力が得られたわけだ。
でも一番大切なのは本人だ。本人の知る権利、選ぶ権利それがあったのか。人魚に人権はあったのか。それが知りたい。
はぁ、夢中で読んでいたらあっという間だったなぁ。
疲れたので早めに休みます。おやすみなさい。
皆様もお疲れさまでした。