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あ☆いの3児の子育てBlog・:*:・♫

 斉藤和義さんだいすきです♪リカちゃん人形の服つくりでお洒落を楽しんでいます☆技術デザインの向上で子どもたちも喜んで貰えます。ゆる~く♪更新しています☆
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さっきネットで、リカちゃん見てて。現実を生きるりかちゃん。
あれほんとすき。笑

それで、ミニチュア系のものをその流れで見ていたらさぁ。


プチサンプルシリーズを見つけました~キラキラ
りかちゃん好きな人とかは結構買ってるものらしい。(こんなんどうやって揃えてるの?っておもっていたら)


 魔女の家シリーズとか大正?昭和シリーズ?とかさ。渋いものから、薔薇シリーズとかメルヘンチックなものまで、いろいろあったよー。
60代くらいの親世代は昭和初期シリーズ辺りにグッとくるらしいんだけど、私的にはノスタルジー感じる訳もなく、そもそも記憶ない時代なので。産まれていないし、、、。
ギリギリ黒電話見たことあるくらいで。

ほんでメルヘンチックな感じとかも30代より40代以上の方が好きな気がする。

なんかね、おフランス的な感じに対して「新しい文化、おしゃれな文化、大人、自由」みたいな感覚がある世代と「もう古い、やりすぎ、逆にダサい」みたいな感覚の世代があるんですよ。たぶん。



キャラクターとかのミニチュアも同じぷちサンプルシリーズにあるよ。すみっコぐらし、SNOOPYかな?

キャラクター好きな人はたまらんのではないかな?

私はあまりそんなでもないので、中でもこれ!!!萌える~と思った世代的に的中していたのが。

こちら。です。
30代ほいほいやろこんなん。

なにこの懐かしさ。
裁縫セットよ。。。

これ持ってたよ。実家にあるんかなー?みんな学校で買ったよね?
どんな柄でした?

私は一筆描きしたんか?って感じの海賊のキャラクターでした。アメリカンっぽい?やつ。
(ちなみに主人はアメリカンっぽいけど黄色い生き物みたいなキャラって言ってたよ)なにそれ?笑



お菓子とジュースで友達とゲームとか懐かしい。

あの椅子の上の無造作に置かれた雑誌の厚さは、少年ジャンプかサンデーかマガジンだろうなぁ。うちはジャンプだったなぁ。主人もジャンプだったらしい。笑

ちなみによくジャンプの話をします。
HUNTER×HUNTERなんて私たちが小学生のころからやってるからね。

もう、始まりの、シーンから「キター!」おもしろいやつキター!感すごかったですよ。

ゴンのキャラクターといい、爽やかな少年が成長していくストーリー、そして分かりやすく試験をクリアしたらレベルアップするというシステム。
ドラクエ感が良いんですよ。わかりやすい!


いやーこのミニチュアちょっと欲しいわ。高いから働いてから買う。
再現度高すぎる。
私もこの感じの二段ベットだったなぁ。

勉強したことない小学生だったけど理科の天体系は好きだったなぁ。天体系のプレゼント兄にしてたなぁとか。



プラモデルとかも懐かしい。一回やって飽きたけどね!笑


この感じから皆スタートして、発展して 香水とか置かれ始めてさ マニキュアとか鏡とかピンとかさ。
そういう色気付いてきたなぁってアイテムが増えてきてよぅ。よぉ。

んね。部活とかいろいろやってさ、勉強とかもいろいろしてさ。
ほんで
気づいたら引っ越しの年になったりするんよね。
寂しいねー。
ノスタルジーっすよ。


って浸ってたらさ。パパにこれ!!!ノルタルジー感じるよね!ってごり押しして見せたら
「え?全然」

てことでした!

私も
先日ようやく
実習三カ所終わったんで、
うちの学校の同級生は、ほぼ全員クリアです。保育士取れそうです。やったね!あと一人いるけど、めっちゃ気さくでしっかりしてて熱あって活発で優秀な方なんで、全員合格間違いなしです。

あ と は、

実習で学んだこととかを後日ほぼ全部学校に提出しちゃうんで、手元に残る資料が半分くらいになるんです。

で、なるの悔しいんで、その前にコピー取って、実習で使った道具とかは、その写真撮って、紙に残してファイルにまとめて、来年再来年、いつでも確認しやすくまとめておく予定です。

なので、今月はその資料まとめで忙しいなぁ。

何より、子供たちの発表会が12月上旬にまとまってて、母としては裁縫系の手伝いがあるんです。

なぜだぁ!!!!それは父はやらんのかい!

もう無言の圧力的に母だよなぁ。

まぁ裁縫は、かなり早く仕上がるんで、裁縫は良いよ。

良いけど他にもしたいことがあるのでバタバタ、、、。

てことでした!それではまたね足ルンルンぼちぼちやりまーす。


せっかく買ったのにまだ読んでない「劇場」読みたいなーっ早く読みたいー。

ばいばい照れ
おはようございます流れ星
又吉直樹さん著 人間 を読み終えました。

意外な展開で、

意外なまま穏やかに終わりました~キラキラ
 

 こういう小説はあまり読んだことのない展開だったので、

 そのせいか、不完全燃焼というか、どこかで前半の劇的な怒涛の展開を締めくくるにふさわしい、もう一つのエンディングが後半に繋がり、あるのではないのかと、求めてしまう自分がいました。

例えば「帰省して
母、父と後半の家族との思い出を振り返ったり、祖父母と自分を重ね合わせたり、

そういった穏やかなゆったりと時間を噛み締めることができる時間。

 現在から過去に遡りつつ、また現在に戻る展開を通じて自我と祖先との繋がりを感じられるという終始穏やかな作品。」

これが人間の後半部分にあたる部分ですが、これが一つの作品として完成しているものはよくあります。この場合は、壮年期、老後の生活や視点が含まれていたりするので、結末に分かりやすさがあります。

 また、前半のように青春の激動期をメインにしたストーリーも良くある。
 恋愛であれば成熟するなり、しないなりの結末が用意されている。友情であってもなんらかの和解であったり、次に繋がる希望が描かれて終わる。

 この二つを緩急をつけ、組み合わせて、一つの本にまとめるという試みが新しく、私のようにアラフォーというある程度年齢を重ねた中年期

 自分の青春期を客観的に見る余裕がありつつも、まだ壮年期に至らない、悟りを拓くには早い。人間として未熟さもある。
 
 どう変化していくのか分からない不確かさもあるが、社会的な立場はある程度確立され、過去の両親と自分を重ねられるようになる。

 そういった感覚。

 30代~40代独特の不思議と穏やかな感覚を、実はそのままの形で切り取り、表現できている作品と、なっているのではないかと思いました。その点でとても新しく貴重だと思いました。

 どうしても、老後の視点から過去の時代を振り返ると、美化されているのか、曖昧さや完成されすぎて現実離れした違和感を感じる作品となる。 

 青春期のみを切り取った作品だとこの主人公の青年または女性の、穏やかだった幼少期や中年期というのはどうだったのかと、また別の一面について知りたくなる。

 それは 常に激動の人生の人間は考えにくく、劣等感が強い時期の、主人公からの視点の表現だけでは、キャラクターが客観的に掴むことが難しいからです。

 多様な経験や時期を経て変化していく中でも一貫性があるという、何らかの人物像が浮かび上がる。それが人間ではないか。 

人生には 春もあれば夏もあり、秋もあれば冬もある。 

車の景色をよく見るようにと言う父の言葉。

そして、曾祖母のように、独特の感覚で景色や体験を捉える主人公。


人生における
 春や夏だけでなく秋に差し掛かり、冬を思う、そんな季節の美しさを受け入れるような視点の作品だったと思う。

 眩しく激しい痛みも伴う力強い青春期を春や夏、秋に差し掛かり安定しながらも懐かしい郷愁もある、今現在の視点。

 いつか訪れる人生の冬に備えるという心の穏やかさ。

様々な季節を思うからこそ、その強さを持つことが出きるのだろうなと感じました。

 拙い部分や歪な部分が、それぞれのキャラクターに存在していて、その不器用さも器用さも、どこか読者である自分にも内在しているようで、それぞれのキャラクターを愛おしく感じられました。
 作者の人に対する鋭い観察力と、愛情、また変化しつつ生き続ける強さが感じられる作品でした。
  皆様もぜひ一度お時間のあるときに新しい物語を、体感してみると楽しいと思います。
 
 そして、主人公と平行して生きる。自分の物語の続きを、珈琲を入れてパソコンのスイッチを入れて、呼吸を置いてい穏やかに始める。
 

 今も各地の明かりの元で、様々な人の一日が始まり、この、主人公もまた生きている。

 不完全ながらも、呼吸を感じる。そんな、新しい視点の「人間」。 
 
 
 人間との出会いや体験に、複雑な気持ちを重ね合わせながら、感謝を感じられるのではないかと思います。
 

 

今日はままの得意料理の豚ヒレカツだよー!





 一度で良いから言ってみたいやつ。

料理する人しか言えない

『得意料理は』っていうセリフ(笑)

 思ったんだけど

最近、あれもこれも作ってみよう!というチャレンジ精神とかが無くなってきて、

 私の料理はこれとこれとこれの繰り返しですという、、、(笑)

 その中でこれぞ!という家族から喜びの声が聞こえてくるレシピがこの豚ヒレカツです。

ヒレカツが安いときだけ作れます音譜アップ

  

 今日は家事の合間に昨日買ってきた
 又吉直樹さんの『人間』を読み漁っていたらあっという間に

ちょうど半分まで読んでしまって

前回読んでいた『花火』がかなり読みやすく

会話が多い作品なので、

途中であまりの読みにくさに戸惑っていたり、

ちょっと気分が悪くなってきたなぁと手を止めたくなるところですが

ちゃんとその部分について
『分かりにくい、何度か読み返さないと理解できない文章』

などと客観的な視点での声が続いていて、

あらまぁ、

またしても計算付くであったのだなと

やられた感もありつつ、

参った参ったと

安心して読むことができるなぁと思うのでした。

作者の掌で踊らされると安心するのは私だけだろうか。

 ところで、又吉直樹『人間』の中で、とても印象にのこるフレーズがあり、


『無』を表現する
というテーマの美大生の作品の展示会での1コマで

 先輩の作品『屁』キョロキョロで奏でる音楽が流れる空間に対し
『無心』になれるという作り手の意図があったのだが

作り手の意志とは反して、やや周囲の冷ややかなリアクションもあったり(言っちゃ悪いけどそれはそうだろうなぁ、、、)

 主人公は無心どころか羞恥すら感じるというような流れだったんだけど、、、(もはや何が芸術なのか凡人には分からんレベル) 


 そのときの先輩、仲間たちの雰囲気やらがうまいこと伝わってきて

こちらまで読者の方まで恥ずかしいという。

 そこでね、

その時の主人公の意見として言っていたことがとても新しい視点でありながら

わかりやすいなと思って

 「無というのは「無い」という状態だけど、実際には無いではなく、
「無くなった」という状態である」


 という、ことを言っていたのね。

で、あーなるほど、確かにそれそれ!

それだ、それだ。と思ってすごく腑に落ちる感覚があって。

なんだか読んだとき感動して、とても嬉しかったんですね。


例えば、怒りや、喜び、悲しみ
  
という感情が無になる空間があるとして

でも、その課程では相反する感情が生まれて淘汰されるなり、

別の何かに熱中している間にふと忘れる瞬間があったり、

もしくは昇華されたりするというものが有るわけですよね。

そのような様々な課程があって
無いにやっと到達する。

正確には、それは「無い」ではなく「無くなった」ということだ という。

過去には実際そこに「あった」事実は無くならない。

また人がいきなり消えたとして、無かったことにはならない。確かにそこに存在していたんです。無くなることはあっても。

信頼もそう。無になるとしても、前はあったという前提はある。 

無くなることはあっても、それは無であることとは似て非なるものだということ。

物理的に、距離をとったり 時間が解決したりすることが時にはとても大切だから無心になるとは大切だ!

 

とかそういう話をしているのではなく。


あったが今はない

ことを、この人は「無い」「無」としたいんだろうなっていう。
屁ミュージックを聞く前に、必ずあったその何かを見ないうちは、表現するって果てしなく表面的でしかないっていうことなんでしょう。

 見ないようにして無と思い込むことは出来でも、それは錯覚だったり妄想だったりするだけで、現実にはそこにあるという事実は変わらない。

という視点があるから

また別の展示会では主人公は「才能がないA」みたいな作品を作って、自分の才能のなさを、無かったことにはしないという作品を創ったんだろうなって気がする。

ほんで、過去の自己の劣等感とか、受け入れてきたものとか、嫉妬心とかを、ちゃんとあるものとして語っているんだけど、蓋をしようと試みたり、距離を置く工夫をして飼い慣らしたり、

 そうやって、生きてる人間らしさというか、青臭さがとても愛おしく感じられます。

てことで、まだまだ続きが楽しみ。

人生を生きるってことは、ゲームのようにリセットボタンが無いから。けしてゼロには出来ないしならない。

でも無にはなれないけど、別にずっと意識化する必要はなくて、無かったことにはできるっていうのは救いだよね。

ヒレカツ♪ヒレカツ♪
ひとまずヒレカツを楽しみにすることに集中します照れ

またね~キラキラ