入院終了~退院~ | 白血病だって100まで生きてやる。

白血病だって100まで生きてやる。

21歳で慢性骨髄性白血病と診断され、2年以内に分子遺伝的寛解達成!
留学先で風邪で入院し、採血したらまさかの白血球26倍(26万個)。
すぐにマルク(骨髄穿刺)でその日のうちにたった一人で外国語で病名告知されました。

さて、


私→退院していいよ

家族→雲の上(※飛行機搭乗中)


ということで


なんやかんやあり、


手続きやお金面、病気の診断書、カルテなど…


いろいろ手配し、


結局お昼すぎ、本当に退院することになりました。



荷物をまとめ、

一週間面倒見てくれた通訳さんと一緒に…


実は、入院すると、患者用の服(入院着?)を貸してくれて、

最初は着てたんですが、


白血病宣告されてから、


絶対ここを出る!

病気(病人)じゃない!


という思いから、一切着てませんでした。


だけど、パジャマ着(スエットとか)の毎日だったんで、

久しぶりに入院してきたときの服を着て、

コートを羽織ったら、


本当にここを出るんだ…


と思いました。



両側のおばさんは、


こんなあたしでも泣いてくれて


「さみしい~」


と言ってくれて…


ハグして、

よく外国の映画であるような、両ほほにちゅうされるやつされて、


廊下側のおばさんには

最後に最後に


「ナマステ~(涙)」


と言われて…


(こんにちは、の日本語だと思ってたようです。一同??になりました…)


ナースさんにもバイバイして…



久しぶりに外の空気を肺にいっぱい入れました。



入院してて何度も

遠い場所になっちゃったな…


この前まであの電車に乗ってたのにな…


と思ってたから、


退院した感動(というより、病院を出られた感動)は、

もう今でも忘れられないほど、濃いものでした。


そして、タクシーに乗り、

一度私の家に戻って、親が泊まるホテルに行くことになりました。


部屋は、一人で辛く寝ていたころのまんまでした。


掃除婦が入ってくるので、キレイにはされてましたが

(冷蔵庫のものも勝手に捨てられていた)


布団や、机の上などそのままで…


そしてこの部屋も気に入ってたのに、

もう帰国しなくちゃならないんだ、


と思うと、今までこの留学を手にするのに、

二年かけて遊ぶのも我慢し、

勉強とアルバイトをしてきたのに、

たった数ヶ月しかいられなかったなんて…


と思うと、悔しさと悲しい気持ちがこみ上げてきて、


ここで初めて



「なんで私がこんな目にあわんといかんのじゃ!!!!!!!」


と思いました。

それまでは、入院生活と、自分が白血病という気持ちでいっぱいいっぱいで、

ここにきてやっと気が抜けたような気がしました。


少し片付け、

ごみを整理し、


私もホテルに泊まったほうがいいということで、

また簡単に荷造りし、

サササッと掃除して、


またタクシーに乗りました。


途中、グリベックを買うために、薬局に寄りましたが、


日本円で45万円ほどしまして…


そんな手持ちなどなかったので、とりあえず保留になりました。

(数日分のグリベックは退院するときナースにもらってた。)


そして、


今おかしな白血球20万ほどあるのを、どんどん減らすのに、

臓器から流さなきゃいけないということで


1日2リットル水飲め


と命令されてたので…


ボルビックやらエビアンやら

銘柄は忘れましたが、日本で見るような炭酸ぬきの水をたっくさん買いました。


そしてホテルに着き、

先にワケを話し(病名は伝えなかった)

チェックインして、用意された部屋に行ってました。


ホテルというよりは、ペンションみたいで、

こじんまりとしてたかわいい宿でした。


部屋で、通訳さんが買ってきてくれたお寿司を食べながら

(このときのお寿司、日本で食べるのとほぼ変わらなくてびっくりしました)

家族の到着を待ちました。



いちおう、着いたら日本から持ってきてた私のケータイ(海外でも使えるようにしてあった)

に電話することになっていて、


夕方着くつもりだったのですが、

全くかかってこず…


電話できなかったら、病院の入院部屋で会うことになってました。


なので、一応あえなかったらと思い、

両側のおばさんズやナースさんたちに


「外国語話せない日本人が3人来たら、アルク(私の名前)・ゴー・ホテルと言ってくれ」


と言っておきました。

あと日本語で書いたメモも渡しておきました。



お寿司を食べながら…


今度は、家族に


自分が白血病である


ということを伝えなくちゃならない


のが、

辛くて辛くて胃がきゅううううっとなりました。



どこから話せばいいか分からなかった。


まずはグリベックのことを話して、

これから入院する必要はないらしい、と伝えなきゃ。


でもこれからこんだけ高額な医療費がかかってくるんだ…


申し訳ないな…


しかも留学もなくなってしもて…



臓器中から重~~~いため息が出ました。




着くはずの夕方の時間を超えて、

周りは真っ暗、夜になったころ…


部屋の電話が鳴りました。


通訳さんがとったところ


「彼女の家族が着いたけど」


ということでした。



このときほど家族に会いたくないと思ったことはありません。




続きはまた今度書かせてください。

今思い出しても結構辛いっす汗


普通病名って家族→本人ですし…。


あの瞬間もきっと一生忘れられないだろうな。



それでは。