安全に家へ戻す方法 | それでも僕は行こう

それでも僕は行こう

アジカン好きです。
日々思う事をひとりごと。
福祉のこと、
軽度知的障害のある息子の七転八倒、
不登校だった娘の夢、
様々な事を通して考える事を書いてます。

ここのところ、ずっと娘の事ばかり。
息子は、穏やかな精神科にかかり、漢方を飲みながら、カウンセリングを受け始めた。
少し落ち着いた。
おそらく、認知行動療法的なことをしている。

娘は、少し前に帰省していた。
しばらく、のんびりしていたけれど、戻る前に私が厳しくとどめを刺した。
「もう、いいんじゃないの」
仕事がね、続かない、どころか、次に行くまでのインターバルが長過ぎる。
もう、いいだろう。
しかし、娘は号泣し、「ここで辞めたら、もっと自分がダメ人間と思ってしまう」
だから、今行っている、夢に繋がる場所は続けたい、と。
大変な仏頂面で帰って行った。(そこがね、ちょっと)
意地になってもいいの、私を嫌ってもいいの。
でも、恨むだけで、反発心を抱くだけで、マイナスな精神のまま終わる。
それはね、娘の父親と全く一緒なの。
そして未だに、次のステップに行けていない。
彼女の人生なので、母親が口を挟むことではない。
けれども、一人暮らしをしながら夢の道を進むには、一人暮らしを続ける力が無いといけない。
認めようとしない娘。
「根性」とか大っ嫌いな娘。
私も根性論は嫌いなので、いいんじゃないのそのままで、とゆる~く育ててしまった。
もっと、厳しく育てるべきだったのかな。
娘は、三年は頑張りたい、と言って向かった。
無理だな、まず生活が成り立っていない。
最初の期限は、1年。
それから1年更新するのか、別に行くのか決めるのだと。
もう11月、年度末は直ぐ来る。
もう、考えてもいい頃だと思う。
それを伝えなくてはいけない。
死なない程度に。(直ぐ死ぬ死ぬ言う)
「死ぬ」ってのは卑怯だと思う。、
生きることは辛いのだ。
みんな血反吐を吐きながら生きているのだ。
生きるためには、自分を知らなくてはいけない。
いかに自分が不出来で、弱くて、情けないかを思い知って、生きていくのだ。
死んでもほしくないけど、借金も追ってほしくない。
そういうダメ人間を育てた母親も、たくさん見てきた。
殴ってでも連れて帰るべきか。
残念ながら、諦めは、自分自身でしなければ身に着かない。
私もずっと苦しい。
頼れる、強い父親がいたら。
しょうがない、この苦しみは私のものか。