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ミラノの観光

ミラノは、お買い物とかはたくさんできると思いますが、

あまり観光というと・・・少ないというイメージです。

城・スカラ座・ダビンチ博物館・最後の晩餐

 

 
 

 

街中を歩くとジェーラートがたくさん売っている。

今日は天気が良いけど、まだまだ空気がぴーんとして寒い。

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ジェラートは美味しそうだけど食べる気にならない・・・

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どこでも見かける(ドイツもたくさんあったな)venchi

ここもおそらくジェラートを売る。

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朝早いのでまだ何もやっていないけど

コーンとかゴーフルもある

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レストランに入る。

ミラノといえば

「ミラノ風カツレツ」

「サフランのパエリア」

と言うイメージがあるので、母と食べに行く

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パンは相変わらずパサパサ。

レストランで出てくるパンはすごくカチカチ。

(まあ、もっと高いレストランに入れば違うかもしれないのですが)

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カツレツですが、やはり日本のカツは美味しい。

これが美味しくないと言うより、

とにかく硬い。でも噛みごたえがあって美味しい。

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デザートはチョコレートムースだった。

濃厚で美味しかった。

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他のドルチェも売っていた。

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お腹いっぱいだったので無理でしたが、

とにかく、甘い。

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おそらく「砂糖控えめ」と言う意識はないみたい。

でも、甘いものを少量満足するように食べるのも良いと思う。

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ミラノとかイタリアはたくさんのBARがある。

バーというと、お酒を飲むところのイメージが強いのですが、

イタリアのバールはそうではなく、

デミタスカップに入れたコーヒーをくいってひっかける感じ。

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このレトロなトラムが絵になる。

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ダビンチの像

 

スカラ座の中には時間がなくて入れなかったのですが、

豪華なので時間がある方はぜひ!!公演していなければ見ることが可能なはず。

そこからパッサージュを移動していく。

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すごい豪華で綺麗で、東西南北に伸びている。

中心のところの絵が4大陸を表す絵になっていたり。

 

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プラダの1号店は紙袋がレアらしい。

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踵をつけてくるくる1回転できると幸せになるんだっけ?

健康だっけ?とにかく、みんな踵をつけてぐるぐる順番にやっている

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イースターエッグもあちこちで見かける。この季節ならでは。

パッサージュを抜けて振り返るとこんな感じ(これはドウォーモの広場絡みた)

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そして、パッサージュを抜けてドゥオーモへ。

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金ピカのマリア様。

前回訪れた時は修復中だったので初お目見え!!

でかい!!

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なかも圧倒的に大きい。

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パイプオルガンも圧巻

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私のおすすめは、パリのノートルダムもそうなのですが、

正面より反対側(南東)からの眺めが好き!!

 

ミラノのドゥオーモの場合はぐるりと裏に回った方。

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こちら側からの眺めも好きなのです。

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ぐるりと一周

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2018年に訪れたときは真夏。暑かった・・・

今回は母がいて登れなかったのですが、子供たちとはとにかく高いところへは登る!が鉄則で・・・

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ひたすら登って面白かったです。この細かい像とかもみれたし、

でも暑かった・・・。

ぜひ、皆さんも訪れた時は登ってください!!

ツアーだと、ひどい時は中に入らなかったりしますよね・・・。

あと時間が決まっているので「もう少しここでのんびり眺めたい」とかできない

「00時集合で次行きます!」みたいな・・・

なので、私はツアーの旅行は無理・・・・。

 

少し違う道を通って行こうと。

ビアレッティーが売っているお店があった。

現在愛用中。取手を溶かしてしまったよ・・・。でも使っている。

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またお城に戻ってきた。

このパニーニのお店は、パンのメニューがサッカー選手の名前になっているらしい。

若者でいつも賑やかにワイワイ混んでいるので食べたことがない。

近寄ってメニューの写真撮ればよかった。

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一路最後の晩餐へ!!

最後の晩餐は、チケットを取るのが結構大変みたいです。

早めに取ったり、個人旅行の枚数なら大丈夫ですが、

10人以上確保となると結構大変と聞きました。

前回は、チケット予約なんて知らずに、当日行ったら「ないわよ」と。

え・・・と困って、受付の人に日本土産のお菓子を渡したら「明日のいちばん最後にいらしゃい」と。

(たまたまキャンセルが出たらしい)。

なので、早めにチケットは日本で確保していくことをいろいろな観光地でお勧めします。

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その前で署名を求められたら「詐欺」なので気をつけましょう。

ここにサインした人は00ユーロ寄付してください!みたいな詐欺です。

 

修道院の近くに

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これですが、蛇口の下を抑えると、蛇口の上がいわゆる飲めるように上から水が出る。

その量を調整しながら飲むのだが、母がチャレンジ。

そのまま全部抑えるともれなくびしょ濡れになるので、

恐る恐る

結局「強くて飲めなかったわ」・・・だそうです。

ミラノの水は普通に飲めますが、

お腹強い私ですが、一応「生水・生物」は海外では食べないようにしています。

(運動やっている頃から、合宿とか全てで絶対に生物は食べなかった、水も一旦沸かしてから飲んでいた)

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有名なこの文具?ハガキやさん。

店主のお爺さんが「これは私が書いた」とか日本語で説明してくれるらしい。

入ったらお爺さんはいなかった・・・。

そんなことをしているうちに、最後の晩餐の予約していた時間になった。

 

最後の晩餐についての解説。

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何回聞いても何回読んでも忘れてしまう。

 

でも、前回は子供がいたし、イタリア語???だったのですが、

今回は文明の利器(グーグルグラス)を使って解説を読むことができて

知らんかった!!という事実が。

戦争中にこの建物の真ん中部分が吹っ飛んだということで、

奇跡的に2枚の絵が助かったということ。

建物の色が変わっているので、本当に絵のギリギリのところまで壊れていたのです。

 

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そんなことが書かれています。

というのを知ってから、横で英語のガイドさんが色々話していたのを盗み聞き。

予備知識があると、少し言っていることが聞き取れた。

(爆弾とか色々話していた。建物が被爆していたと知らなかったら「何言ってんだ?何が爆弾?」と思っていたに違いない。)

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修復の様子など

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こちらの絵の解説も面白かった。

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最後の晩餐の下のところは出入り口の部分にするためにキリスト様の足のところが・・・

しかも、厨房(奥)とこちらの絵の方が修道院の食堂だったので、

火を使う、湿気があるなどで絵の保存には最悪の環境だったらしい。

しかも、色々加筆したりするためにテンペラ?でしたっけ、

とにかく保存の悪い方式で描かれた絵なので、今は湿度を調節するために、

出入りなど色々大変。

 

この最後の晩餐について。

最後の晩餐に食べているパンは発酵のパンなのか、無発酵のパンなのか。

そんなことを色々調べてワインと一緒にレッスンを世田谷パン祭りのコンテンツでやったことがある。

(もちろん、ワインはソムリエさんと組んで)

ということで、その時の資料が出てきたので(懐かしいなぁ 12年ぐらい前)

写真はちょっと貼り付けられなかったので、

資料の文章の部分だけ

 

最後の晩餐とパンとワイン

 

自らの血と肉を分け与えるイエスの最後の食事の風景を描いた有名なレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」。その絵に描かれているパンとワインについて「絵」ではなく「パンとワイン」という切り口から検証してみたいと思います。

 

ユダヤの重要な「過越(すぎこし)の祭り」の食事を用意するように命じ、その食卓で「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した物が私を裏切る」という。さらに裂いたパンを与えて「これは私の体である」と言い、ぶどう酒の杯を渡して「私の血」と言った。この「過越の祭り」とは「種なしパン祭り」とも呼ばれる。

 

祭りの由来は、エジプトに移住したヘブライ人(ユダヤ人)たちが預言者モーゼに率いられてエジプト新王国から逃亡(出エジプト)した日、神の約束通り、詩を運ぶ天使がユダヤの人の家のみを過ぎ越してエジプトの民にだけ訪れたという歴史に由来する祭りである。3月末から4月のはじめの1週間ユダヤの人々は「出エジプト」の時に粉と水を混ぜたものだけをかろうじてもちだしたという多忙を忘れないように(要はパンを作る暇がなかった)、種を入れないパンを食べる習慣がある。

種なしパン祭りが存在するもう一つの理由は「発酵と不浄」という考えからである。

時の更新に当たり、神が新しい命(初穂)を与え、さらなる都市の実りを祈願する際のお供え物だからです。農耕には種をまく、育てる、刈取る、その種を再び播く。繰り返される周期、つまり死(刈取り)によって、次の新しい麦の命が始まる。「一粒の麦は地に落ちて死ななければ1粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12・14)という聖書の句は麦の生態をとらえている。

 つまり、古いパン種を次の新しい生地に入れることはこうした「生」と「死」のサイクルを乱す。つまり古いパン種を生かすことは、麦の新たな稔ばかりか、その年1年の稔を脅かす行為ととらえられる。また、腐敗というおそれを経て生じるものをパン生地に混ぜ込むことに他ならない。

 ここで問題となるのが、この最後の晩餐は「過越の食事」であるか否か。東西教会ではこの時のパンは「種入りパンか種なしパン」かによっての議論がある。つまり後世のミサ、聖餐式(せいさんしき)と呼ばれる儀式で用いられるパンに違いがあります。

 西方教会(カトリック・聖公会・他の一部のプロテスタント)は無発酵パンを用いる。他方で、東方教会(正教会)などは発酵パンを用いる。

 

いずれにしても、この過越の食事の当日か前日かによって無発酵パンか、発酵パンかが違うためはっきりしない。絵画に描かれる絵もふっくらしたパンから平たいものから様々ある。

 ただ、パンの製造の歴史からひも解くと、この地方のパン焼きの設備からすると、仮に発酵パンだったとしても、平べったいパンだったことは確かである。

 

最後の晩餐では、イエスの言葉からすると薄いパンをワインに浸して食べている。ワインの入った大きな鉢にみんなが順にパンを浸しては食べるのである。こうしたワインとパンの取り合わせは、最後の晩餐の特殊な食べ方ではなく、古代地中海世界ではよく行われていたらしい。「焼き立てのあぶりを取ってそれを甘いぶどう酒に浸し」と紀元前4世紀のギリシャの文芸作品中に記述がある。また、紀元前3世紀にアテネの市場で売られていたあぶりパンは「舌触りが丸くて柔らかく、ぶどう酒に浸して口当たりを非常によくしてあったと伝えられている。また1世紀にはまた熱いうちに酒に浸したぶれまというパンがあったと伝えられている。 ぜひ、「最後の晩餐」のいろいろな絵を見るとき、パンの形状とワインの置かれ方などの観点から楽しんでみてはいかがでしょうか。