Growth is the only evidence of life. (成長は生きている唯一の証しである)
この言葉を聴いたのは、鈴木吾郎先生の「放送英語」の第1回だったと思います。放送英語の授業回数が42回だったことから、先生は毎回マラソンの距離に例え、「今日は21キロ。もう折り返し点まで来ました」と挫けそうになる塾生の心に火を灯してくれるのです。
私は50歳になる少し手前から家の近所をジョギングすることの楽しみを覚え、これまでに4回のフルマラソンを走りました。
もう数年が経ちますが、遠く福岡県の小倉まで足を運んだ「北九州マラソン」ではめでたく自己ベストを更新できました。せっかくの九州遠征だったので翌日は大分県中津市まで足をのばし、福澤諭吉先生の旧居を訪ねました。そして早春の庭に咲く白梅を見下ろす諭吉像を前に卒業祈願をしたことを思い出します。ここには記念館が併設され、福澤先生直筆の研究書物や立派な卒業証書などが展示されており、塾生たちが真剣に学んだ往時が偲ばれます。大阪の「適塾」と並んで一度は訪れたいスポットです。
昔の「三色旗」の中で渡辺秀樹先生(文学部)が、「卒論は、常識を書き連ねることとはまったく異なるという、この感覚を味わってほしい。書く前と書いた後の自分は違うという感覚を味わってほしいと思うのです」と塾生への激励文を寄せています。
この変身する感覚を私はマラソンで味わいました。42.195キロを走る前の自分と、完走した後の自分はまったく違っていることに気づいたのです。その感覚は達成感というレベルを超え、さなぎが蝶になった気分に似たものでしょうか(蝶々の気持ちを知る由はありませんが)。
この感覚はフルを経験したランナーでないとわからないかもしれません。その苦悩と高揚感を、卒論を書く作業の中で味わって欲しいと思います。鈴木吾郎先生なら「まだ君は25キロ地点。この先には35キロの壁が立ちはだかっているよ」と言うことでしょう。