卒業論文指導調査票とともに提出しなければならない論文構想がほぼ出来上がりました。
ドラフトの中身スカスカやん。
そりゃそうだ。今から勉強が始まるからねー。
「意味の分からない資料、意味は分かるけど腑に落ちない資料、腑に落ちるけど行動に移せない資料。このような資料はすべて失敗です」
と何かで読んだ。
章立てプランは指導で直してもらうとして、その問題意識と着眼点が論文として成立するのか?
書いた996文字を何度も繰り返し読んでみよう。
私の悪い点は、結論を頭に持ってこれない思考回路。結論が先にあればもっとシンプルに書けるのになあと、レポートを書きながらいつも思います。これって小説家気取りなんすかね?
章立てに「仮説」を加えてみました。
おやおや?たったそれだけで、なんか経済学部的論文になりそうな。
頭の中には仮説なんて全く浮かんでこないのですが…。
法学部では卒論構想も大事ですが、そのテーマを書くにあたり関連領域の科目を体系的に学んできたかどうかが重要だと思われます。根っこがあって幹があって枝があるみたいな下地があって、そこから物事が始まるみたいな感じ?民事系の論文を書くのに、その分野の履修が手薄だったり、履修した科目は刑事系や政治学系ばかりだと「だめだこりゃ」となるわけで。
それを恐れて私が第一回目の卒論指導を申し込んだのは100単位を超えてからでした。
その点、経済学部ではどのような要件が必要なのかいまいち分かっておりません。おそらく初回の指導時には取得単位も90単位程度かと。
しかも自分の構想を読むと、展開によっては経済学系より商学系の論文になってしまうのではという卒論構想に不安を覚えます。これでは指導教員が見つからないなぁと独り言。
しかし法学部時代を思い出しますと、最初の調査票に書いたことの痕跡すら残らない論文に仕上がったことを思い出しました(やや誇張)。
うん、経済学部においては、大切なのは大胆でオリジナルな発想力と空想力だな。第一、経済学者の言うことは現実の社会ではほとんど当たらない(笑)「アベノミクス」だっていずれ破綻するだろうと思う。そもそも異次元の経済政策という言葉自体に危うさを感じる。
よって私の調査票も、最後は「これでいいのだ」というバカボンのパパ的な見切り発車になりそうな予感がしています。
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