2026.02.22 の日経新聞 The STYLE に ”闘病記の効能とは” というのがあった。
闘病記は病で苦しむ人の生の声、苦しみの軽減方法、希望の持ち方、諦観のありようを知ることができる、とある。
自分と同じ病気にかかった人の闘病記により患者さんが慰められる、ということだ。
認知症患者を介護する家族も
同じ気持ちではないか。
”病” のところを ”家族の認知症” に置き換えられる、と思った。
病気のことは検索すれば調べられる。
でも病気になった人の心のことはわからない。
それが書かれているのが闘病記だ。
認知症という病気のことは調べられる。
認知症の家族がいるとどんなことが大変になるのかは、なかなかわからない。
介護する家族の気持ちは調べにくい。
自分の経験では、肉体的にも精神的にもへとへとになった。
母は精神的に不安定になり、いつも怒っていた。
次第に暴力的になり、物を投げつけたりハサミで切り刻んだり殴ったり蹴ったり。
怖かった。
2人きりで隣にいたくなかった。
殺されるかもしれない、と思うときもあった。
→暴力的にもなる認知症
→二度と繰り返したくない
全ての時間は母のために使われ、自分のことは一切できなくなった。
もちろん仕事も辞めなくてはならなくなった。
認知症が進むほど介護はきつくなる。
着替えだって腕を伸ばすといった協力もなくなり時間もかかるようになる。
失禁が増える。
でも本人は汚れていることもわからない。
椅子から立ち上がると座面がびっしょり、座面の中まで尿がしみ込んでいる。
便の時もある。
きれいにしている間じっとしてくれればいいのに、わからないから勝手に手で触ったり動いたりする。
何を言っても伝わらない。
下着、パジャマ、服、布団類が失禁で汚れる。
洗濯物が増えていく。
しかも洗濯はまず手洗いしなくてはならない。
ニオイでくじけそうになる。
自分もくさいのではないかといつも気になる。
→夜なんだから寝かせてよ、オネショはしないでよ
介護、投げ出したいけど投げ出したらもっと大変になる!
義母が認知症になり、老人ホームで暴れ、何度も家族が呼び出しを受けた。
入居者さんたちから義母は怖がられ、老人ホームを経営する本社に直接クレームの電話が入ったりもした。
施設から精神病院入院を勧められた。
でも入院の決断がなかなかできず、結局私たちは選択を誤り、社会にも迷惑をかけてしまった。
入院の決断ができなかったのは”精神科の治療”の解釈ができず不安だったからだ。
自分たちは精神科と縁のない生活をしてきたから精神科自体を理解するのが難しかった。
義母は精神病院に入院しなくてはならないほど大変な状態なのか、入院させたらどうなるのか、それがわからないんだ。
結局手がつけられない状態になり、入院することになる。
→今も忘れられない出来事になってしまったこと
退院した姿をみて、なんだ、こういうことか、とやっとわかった。
→認知症の怖さが消えた義母
認知症が原因で精神病院に入院する人は珍しくないようだ。
つまり、特別なことではないらしい。
このことを知っていれば入院のハードルはもっと低かったように思う。
→認知症の知識がない家族は大事な判断ができない