認知症の症状って時間が経って落ち着いて振り返ると

あれは認知症の症状だったのか、ということが多い。

 

義父が亡くなって義母が1人暮らしを始めてからのこと。

 

視覚障碍の義母は困り事が発生すると夫に連絡をよこす。

義母から要請があると仕事のあと立ち寄り、

修理などして帰宅することも度々あった。

 

   

 

義母は視覚障碍者用に音声が出るようにしてあるパソコンを使っていた。

 

パソコンに不具合があるから、見に来て欲しい 真顔

 

 

あの頃の夫はどんなに頑張っても近日中に行く時間が全くなかった。

海外出張もよくあり、土日だっていないことも多い。

 

すぐには行けないと言ってもわかってくれなくて、

ギャーギャー電話で文句を言ってくる。ピリピリピリピリ

 

 

夫が 忙しくて行けない というのが、

自分は無視された、と思うみたいだった。ハートブレイク

 

 

認知症初期の人は自分に自信をなくし始めていてもともと不安な気持ちでいる。

のけ者にされた、とか、無視された、と感じると、なにくそ!という感情になる人もいるみたい。

義母や実母はそんな感じだった。パンチ!  ムキー  ハッ


 

人に物事を頼んでいるのに、ヒステリックに怒り始める。

(もともとヒステリーな人だと夫は言っていたけどね・・・(笑))

 

挙句の果てに、親不孝息子!とのたまう。ピリピリグー

 

 

これは認知症症状の一つだったんだろうと思う

 

 

    

元々の性格に隠れて、

認知症の症状だと気付きにくかった。

 

 

振り返って、ここは、と思うこと。

繰り返し要請してくる頻度が高い

・母親のことを放っておくのか!って、自分中心的な、自分を無視しないで!                的な言い草をする

・なかなか時間を作ってあげられない、という説明が聞けない、わからない

イライラしていることが多い

 

 

結局、義実家の近くに住んでいる部下に頼んでパソコンを見に行ってもらった。

仕事中にも電話がきてたまらなくて、急遽彼にお願いすることになった。

彼には本当に申し訳なくて、とりあえず財布に入っていたありったけの2万円を渡して仕事のあと、行ってもらった。

 

パソコンは大したことではなかったようで、一瞬で解決したとのこと。拍手

 

その後、義母はパソコンのことで騒ぐことはなかったが、

あんなに騒いだのに使っている姿を一度も見たことがない。ドクロ ピリピリ

 

兄が亡くなってから、毎日何かに押し潰されそうな辛さでいっぱいで、意味もなく涙が溢れてきた。

 

母の認知症は進み、父は認知症の理解が難しいところもあり、義姉は既読スルーで連絡もない。

自分でも何が問題なのか心の整理がつけられないでいた。

(義母は精神病院から退院し、施設で問題なく過ごしていたのは助かった)

 

コロナは当時、あまり人に話せない感じの病気だった。バイキンくん

コロナが死因ということが、吐き出す口に栓をしているような感じもした。

 

両親の前で泣かないようにと無理をしてきたのも一因かもしれない。汗

 

どこかでこのモヤモヤを吐き出したい気持ちになっていた。 オエーもやもや

でもあまりに私的な話に誰かを付き合わせるなんて申し訳なくてできない。

 

 

 

 

ふと思いついたのはお寺カフェ(レストラン)だった。

 

 

 

   ニコニコ   お坊様に話を聞いてもらおう! 

 

 

やっと吐き出し口を見つけた気がした。 晴れ  虹  

 

 

 

所用のあと行ったらお昼のピークは過ぎていて、お店にほとんど人がいない。

残念ながら気軽にお話しできる雰囲気ではなくなってた。

  ここに来れただけでもいい。グッ

  なんとかしようと思って

  ちゃんとここに来たじゃん。合格

 

カフェのお釈迦様に手を合わせた。お願い

 

 

 

 

さあて、ここは、精進料理なのかな? なんて、ワクワク。

お寺カフェってどんなものが食べられるんだろう・・・


 

メニューは意外に普通。

 

鶏のから揚げ定食を注文。指差し 飛び出すハート

 

    

鶏カラ??

え、いいんだっけ?無気力

 

 

ってけっこう複雑な気持ちの1人ランチ。お弁当お茶

 

 

キラキラキラキラ仏教の教えとなんか違うメニュー!キラキラキラキラ

 

何事も既成概念にとらわれなくていいんだ、もっと自由に!って思えたのです。

 

 

心の中のモヤモヤを口から吐き出すことはできなかったけど、

こういう所があるんだ、と思えたのは

自分の中での安心感、安定感に繋がった。

駆け込み寺みたいな感じかな。

 

 

認知症だからどうしよう、、、ではなくて

認知症になっちゃった。

わからないの? 

うん、仕方ないよね、そんなこともあるし。


 

    

ありのままを受け入れよう

 

 

 

義姉は既読スルー、両親の様子を見に来ることもない。

義姉には義姉の生活もあり、

気持ちがないならむしろ来ない方がこちらも気を遣わなくていい。

義姉も私も自由に。

 

(とはいっても、もうあと何年も生きるわけではない両親をほったらかしにして、

こんなに義両親を苦しめ、悲しませることはないだろうに、という気持ちはある。

義姉のご両親は葬儀にも納骨にも来なかったし、その後の連絡もない。

義姉や姪っ子から両親への連絡もないのは理解できなかったけれど、遺伝なのか、と思えるようになった。

怒りの気持ちは全くないけれど、かなり呆れています。にっこり )

 

兄を亡くして義姉や姪っ子の心配をたくさんしていたのが馬鹿らしく思えてきた。

 

 

結局誰とも話をすることもなくカフェから出てきたけれど、

なんだか心の棘が落ちた気がした。花火

 

 

    

鶏のから揚げ定食だったのが

救ってくれたのかもしれない

 

父母二人を何度か兄のお墓参りに連れていった。

 

父と母が墓石に向かって名前を呼ぶ声、姿、辛すぎる。

涙をこらえるのが大変なんだよ、私。泣

 

母が施設に入った今は、父だけ連れて墓参に行くが、

そのたび私は悲しい姿を見なければならないんだ。お願い

 

兄が幼い時好きだった歌を歌ってあげる父。ルンルン ブルーハーツ

一緒に歌おうよ、って言われるけど、歌ったら泣いちゃいそう。うさぎ汗

 

 

墓参に連れて行ってあげたいけれど、

その反面、私には重いんだー。 魂

 

 

 

   両親が先に亡くなっていたら

   どれだけ気持ちがラクだろうか。

   そんなことまで考えてしまう。

 

 

母の認知症は放っておいても進行したと思うが、

こんな進行を辿ってきたことがあまりにも悲しい。

父も母も私も、行き場がない悲しさ。

 

 

母の認知症が悪化するほど、その根底には兄の死があるような気がしてしまう。

 

 

両親共に90歳近くまで健康に長生きして、

どうしてこんなつらい経験をしなくてはならないの?
 

やはり母は息子の亡くなり方について混乱していた。

 

  → 認知症でも母親であることに変わりはないのです

 

 

兄の入院ひと月前の、楽しかったお出かけのことが忘れられない母。

 

兄はお別れを言いに来たんだ、と母は言う。

そして、自分はもう死ななくちゃならないから会いに来たと言っていたと言う。

それで、パッと自分で死んだんだ、と。

 

 

持病もない元気な息子が一瞬で消えるように亡くなったこと。

自死したように思ってしまうのもよくわかる。

会うこともなく、1人で入院してたったひと月でそのまま亡くなってしまったのだから。

 

 

兄は死ななくてはならない理由なんて何もなかった。

この時点で母の話はじゅうぶんおかしい。

これが認知症の人の症状にある、作話(さくわ)。


 

当時の私は認知症の症状に作話があることを知らなかった。

今、振り返って作話だとわかる。メモ

 

 

母は認知症だと思っていたから、変なことを言っていても

うんうん、とだけ言っていた。

これが一番ストレスが溜まらない。にっこり キラキラ

 

 

認知症だとわかっていなかったら、何度も何度も事実の話を聞かせ訂正させて、

なんとかわかってもらおうと無駄な努力をし、1人でストレスを抱えることになっていただろう。

 

 

    

認知症の人には

正しいことを説明したってわからない。

そこは頑張らない方がいい。

 

 

 

その時左腕を怪我してした母。

大丈夫か?と心配して、兄が左腕をさすってくれたという。

いつまでもいつまでもさすってくれて、

こんなことしてくれるのは久しぶりだと、

お互い顔を見て吹き出して笑ったと言っていた。泣 泣

 

 

少しずつ違う所はあるが、左腕は怪我していたし、さすってくれたのも本当のようだ。

兄はこうしてお別れを言いに来たんだ、と母は言う。汗

・・・泣けてしまう・・・。汗

 

 

この話を何十回も何百回も言う母。

作話の部分もかなりあるのはわかっている。

 

これを何度も聞かされるのは辛かった。

どう反応してあげたらいいのかわからない。

 

 

もし、兄がコロナで亡くなっていなければ・・・、と思い、

涙が溢れて止まらなくなる。ショボーン

もちろん親たちの前では泣かないよ。泣

兄は骨になり帰ってきて、墓石に名前が刻まれた。

 

 

その後、ショックで母の認知症は進み、

自分だけ息子の病気のことを知らされていなかった、

とか

自分だけ何の説明も聞いていない、

とか言うようになる。

 

 

 

そんなこと言わないでよ、って思った。泣

あとから一緒に経過説明を聞かせてもらったじゃん。泣

 

はじめから部屋に入れてもらえなくて悲しい思いをしたから、その悔しい思いばかり記憶に残っているみたい。

そんなにつらかったんだね。

 

こんなこと言う母、切なくてたまらない。

そんな母をみなければならない父も、私からみると可哀想でたまらない。泣くうさぎ

  → 認知症でも母親であることに変わりはないのです

 

 

あのとき、最初から4人で説明を聞けていたら、母はこんなこと言わなかったかもしれない。

 

 

かわいそうに・・・。

母にこの言葉を言われるたびに、

あの説明を受けた日のことを、

母が部屋の外で狂ったようになり、私が制していたあの時の光景を、

私だって母親ぐらい入れでもいいんじゃないのと思い,、母を制したくないと思いつつ制していたあの時のことを、

思い出してしまう。

 

 

あと一人を、母を、一緒に部屋に入れてもらえなかったことが、母にとってはものすごく悲しい出来事になってしまったのだと思う。

息子を亡くし、更なる追い打ちだった。

 

 

病院の対応が母の認知症の方向に影響を与えることになったのは間違いない。

病院はコロナで手一杯で、コロナ感染のことしか考えていなかったのかもしれない。

 

 

 

本当は私も聞きたかったんだよ

あの日、私も泣きたかったんだよ

 

兄が亡くなった日、

私は義母が入院している精神病院に向かっていた。

 

        → 認知症でも母親であることに変わりはないのです

 

 

認知症だった義母は老人ホームに入ってから精神不安定になり、暴力化。

そして精神病院で入院治療を受けていた。

義母との面会はできず、担当医と面会して様子を伺っていた。

 

 

この日も担当医に会うために高速道路で片道2時間、走り続けていた。

あと少しで精神病院に着く、という時、

父から兄の訃報の知らせが入った。

 

 

   ご遺体と対面できるというので

   急遽兄の病院に向かう 病院  

 

 

 

精神病院には義妹が行ってくれていたので、義妹の携帯電話を通して私も面談に参加させてもらった。

義母の病状について聞き、こちらからは退院に向けて具体的な治療の希望を言う。

 

 

別人のように凶暴化してしまった義母を騙し、精神病院に連れて行った。

到着して騙されたと知り、義母はものすごく怒りだした。

でも、ガタイのいい男性看護師さんたちに引きずられるようにして、悲鳴をあげながら消えて行った。

そして入院の間、一度も義母に会わないまま、退院の日を迎える。

 

  → 決死の義母連れ出し大作戦

  → 義母が引きずられていく

  → 拘束したいので許可お願いします

 

 

 

義母は今、どんな状態なのだろうか。

精神の治療ってどうなることをいうのだろうか。

全く想像できず、不安でいっぱいだった。

 

 

  義母の退院は

  とても怖くて心配だった汗汗

 

 

 

    

義母のこと

てんやわんやなのに

これからの両親のこと

心配になる。

 

 

この時、夫は海外で仕事をしていて、義母に何が起ころうとも、私の兄が亡くなろうとも、世界中で飛行機が飛んでいなかったから帰ってくることもできなかった。

海外でコロナは大丈夫だろうかと、夫のことも心配だった。

 

 

    

魂 真顔 よくわからないモノに

押し潰されそうな毎日が始まる

 

母は認知症でひどい鬱になった。

 

息子(兄)がコロナで亡くなったことが原因だと思う。

 

父と母と兄と、一緒に出掛けたのは兄の入院1か月前のこと。虹 音譜

一緒にお昼を食べて、お茶をして、楽しかったようで珍しくその時の写真もある。

 

兄は具合が悪くなり病院に行き、コロナ陽性とわかり、即入院した。

面会もできないまま、約ひと月の闘病ののち、亡くなってしまった。

 

 

 

  両親も私も

  実感がないままの出来事


 

 

もともと認知症だった母にとってはこの理解は難しかった。

とりあえず、亡くなったことはわかっている。

認知症が更に進んだ今では わかっていた の表現が正しいのかもしれない。

 

 

 

亡くなった日、病院は亡骸を拝ませてくれた。

(致死率が高かった頃なので、ご遺体を見ることも許されないのが普通だった)

 

兄はご遺体用のビニール袋に入れられていた。

ビニールに触れることも許されなかった。

 

 

 

その後、ドクターから説明を受ける。

ただ、感染予防のため、部屋には3人までしか入れないと言われた。

 

兄の妻、娘は当然。

あと一人。

 

母は認知症で説明なんかわかるような人ではない。

父が行った。

 

 

私はその部屋の壁から漏れてくる説明を聞いていたかった。

 

 

それなのに、母が騒ぐ騒ぐ! ダッシュダッシュ

 

 

どうして自分は聞けないのか! ムキー ハッメラメラ

母は3人まで、が、理解できない。

まあね、私も、両親ぐらいは、あと一人ぐらいは入れてもいいでしょうに、とは感じていたよ。

 

 

部屋の横で私は母の腕を掴み、あちこち動こうとする母を制していた。

 

 

すると、今度は

もう帰る! ムキー  ハートブレイクピリピリ

と言いだす。

 

すぐ横は出口。

そこから出ていこうとする母。

 

 

 

母は自分がのけ者にされていると感じたようだ。

認知症でもともと自分の行動に不安を感じていたところに、

説明を聞かせてもらえない不満が母を自暴自棄にさせた。

 

自分なんて親と思われていない! ドンッ 

自分は無視されている! メラメラ

 

 

 

そうじゃなくてー、と何を言っても母の耳には何も入らない。

でも、母の言うこと、よくわかる。

ほんと、そんな感じ、しちゃうよね。

 

 

結局、ドクターに頼んで、母も部屋に入れてもらえた。汗うさぎ

 

 

それだったら最初から入れてあげてよ。

兄の家族は2人なのわかってるんだし、あと両親で、3人が4人になったっていいじゃないの。

ちょっと気を遣って欲しかった。

 

 

こうして母は説明を一緒に聞けた。

もちろん、母は説明を理解できるはずない。

そんなのはわかっているけれど、大事なのは少しでも息子の様子を知る機会を与えてあげて欲しい。

会うこともなく、病状を見ることもなくお別れとなってしまったんだもの。

兄の家族や父と、息子のことを知る時間を一緒に過ごさせてあげて欲しい。

 

 

    

認知症でもハートは、感情は、母であることは

普通の人と変わらないのです。

 

まだ母がデイサービスでお世話になっていた頃。

デイから帰ってきて上着を着たまま寝てしまうことが時々あった。

 

着替え、ということがわからなくなったのかもしれない。

着替えが難しい行為で、大変だから面倒くさくて出来なかったのかもしれない。

 

 

着替えもせずに寝るなんて、だらしない人間のすることだ、と思う父。

私によく母の告げ口をしてきた。(笑)おいで 爆笑


 

 

父がそう思うのもよくわかる。   うんうん!

母ができないのもよくわかる。 うんうん!

 

 

父は母の症状は治るものと信じていたから認知症をなかなか理解できず、イライラしてしまうことが多かった。あせる

母への期待があったんだと思う。

自分でなるべくやらせることが脳への刺激になって回復すると思っている父。脳みそハッ

なんとか治してあげようと思う父の思いやりなのだろう。ブルーハーツ

 

 

母はまだ自分でできるはず、と父は思っているんだよね。

 

 

それなのに、だんだん言うことも聞かなくなってきてーと、思う父。

それは認知症が進行しているってことなんだよねー。

父に反抗して着替えなくなっているのではないんだよ。

 

 

上着ぐらい脱ぐのは当たり前でしょうに。

そのくらいは注意すれば・・・。

 

その、そのくらい、ができなくなってしまうんだよ。

 

Minami がやると、はいはい、って言うことをきいてサッサと支度ができるんだよね。

不思議だよねぇ~。

 

父はよく言っていた。

 

 

私は  すでに 脳への刺激  なんて、あるはずないと思っている。

母は自分から支度はできないので母の動きをサポートするように私は動く。

だからそんなにイライラしない。

 

 

    

私にとって母の認知症は

母の介護父へのレクチャーとで

2人分の面倒をみているような感じだった

 

母が初めて介護申請をしたころの話。

 

認定調査員の方やケアマネージャーさん、デイサービスのスタッフさんなどと面談がある。

 

ひとりで着替えはできますか?

 

 

これを言われるたびに、

 

 

 

着替えなんかはできるでしょうにー  にっこり 

 

 

と思っていた。

 

できるのは当たり前だと思っていた私。

どうしてこんな質問があるのかと思うほどだった。
 

 

    

現在の母は、

着替え、できません。

 

 

こうなるんだ、と現実を突きつけられる。

 

 

まさかこんなになるなんて、当時の私は考えもしなかった。

 

 

認知症をある程度わかっているつもりでいたけれど、

認知症の現実を目の前で見ると、

想像をはるかに超える出来事に驚く。びっくり  ピリピリ

 

 

 

母は次第に着替えに時間がかかるようになった。

 

服に手を通すのもゆっくりになる。

 

その後、どこから手を通すのか分からなくなってくる。

 

自分から服を触っているうちはまだいい。

 

そのうち着替えること、着ること自体に興味がなくなった。

 

そして自分では着ることをしなくなった。

 

2週間前、老人ホーム内で手首を骨折した母。

今日はその後の経過を見るため再び整形外科に連れ出した。

 

 

とーっても疲れた。ネガティブ くるくる

 

 

骨折のことより、

また車を汚されるんじゃないかと、そっちの方が心配。タラー

  →    きれいだった愛車が、、、

 

 

骨はこの2週間で順調につながっ てきていた。ドクロ

このままあと2週間、添え木を続けていれば治るでしょう、とのこと。

 

 

 

 

 

2週間前、母を手元でお世話してみて、認知症がこんなに悪化しているんだと驚いた。

私が受けたショックは大きかった。

 →  母を見て義母の記憶が蘇る

 

今日は落ち着いて母の様子を見ることができた。

母は私に会って嬉しそうにしてくれた。デレデレ ハートのバルーン

 

 

 

施設を出て実家に立ち寄り、父に同乗してもらい、実家近くの整形外科へ。

 

 

施設から実家までの間、私から母に話しかけることもなく運転。

後部座席で1人でなんだか喋っていた。

今の母は、会話は成立しないし、話していることに何の意味もない。

気を遣って相槌を打つ必要はない。

 

放っておかれているのに1人で延々と話をしている。

あ~、こういう意味不明のお年寄り、見たことあるな、なんて思った。

 

母はこんな状態になっちゃったんだ、と、運転しながら一人で考えてしまった。ガーン

 

久しぶりの外出で母は景色をよく見ていた。

今日は元気そうだ。

 

 

では、自分の住んでいた町は、家は、どんな風に見えているんだろう?  デレデレ

 

 

家の前に到着。

 

爆笑 ここ、どこだかわかる?

 

ニヤニヤ  ーーーー

 

ニコ この景色、覚えてる?

 

ニヒヒ  ーーーー

 

母は答えないままニコニコしている。

 

 

 

ええっ!

自宅もわからないんだ‼ びっくり

 

 

母に反応は見られなかった。

 

 

2週間前、自宅前に来ることで、笑い泣き 家に帰る、なんて言い出さないかな、と

父は心配(と期待なんだろうな)していた。

でもそんなこと言うこともなく、老人ホームに帰っていった母。

 

なるほど、自宅がわからないなら、家に帰る、なんていうはずないわね。



 

母の無反応を確認しているとき、父が車に乗ってきた。

 

 

家がわからない母の様子は

父にとっては悲しいことだったろうと思う。

こうした残念な積み重ねが認知症を受け入れざるを得ない状況を作り、父は少しずつ認知症を受け入れていくようになっていく。

 

 

相変わらず優しさいっぱいの父は、母の為に美味しい梨をむいてきていた。キラキララブラブ

 

 

いつも思う。

こんなになっても母を大切にしている父。

母は幸せ者だなと思う。

母の記憶には残らないけど、

父の記憶と私の記憶には刻まれる。乙女のトキメキ

 

 

 

診察が終わり、車に座ってから、ゆっくり梨を食べさせてもらっていた母。ハートのバルーン

 

そして、、、凝視 気づき

 

 

 

ぷ~~~ん、 うんち  と、、、

え?、、また???    驚き びっくりマークうんちうんちうんち

 

 

窓開けないといられませんでした。オエー

 

くっさーーーー。 ゲホゲホゲホゲホゲホゲホ  魂

 

 

今回はペットシーツワイドを3枚お尻に敷いて座らせてます。

 

 

 

 

 

 

 

施設で母を降ろすと、母のズボンは濡れている!!

 

ええええっ!!! ハッハッ

 

 

慌ててシートを確認。

ペットシーツが汚れをしっかりキャッチしてくれていました。

あまり見たくなかったけど、ペットシーツは茶色く丸く吸水していて・・・ 目

 

 

もーーーー、やだーーーーー  もやもやピリピリピリピリ