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皆さま、おはようございます!

 

前回のブログで、三陸鉄道リアス線・織笠駅の訪問記をUPしました。

(前回のブログもチェックくださいませ)

【まったり駅探訪】三陸鉄道リアス線・織笠駅に行ってきました。

 

東日本大震災の被害により長らく不通となっていた

JR山田線の釜石駅-宮古駅間。

昨年春に三陸鉄道に移管され、

営業を再開したことは記憶に新しいところです。

その際、山田町織笠地区の災害公営住宅付近に設けられたのが

織笠駅でしたよ。

 

そんな織笠駅、実は山田線時代にも存在してまして…

現在地から1キロ近くも離れた場所に旧駅がありました。

山田線が開通した昭和11年に設けられた駅で、

場所は織笠川の河口付近です。

下は国土地理院のサイトから転載した昭和52年撮影の航空写真ですが、

国鉄時代は古い木造駅舎と単式ホームを持つ駅だったみたいですね。

 

写真を見ると、周囲に民家は数軒しかありませんが、

利用者の大半は織笠川の対岸側から橋を渡って訪れる皆さんです。

昭和58年時点の乗降客数は139人/日で

利用客はそこそこに多い駅だったようですよ。

ところが東日本大震災で発生した津波により、

写真に写る住宅地もろとも織笠駅は流失。

付近での津波の高さは8メートル近くまで達していたんですって。

織笠駅が移転したのはそんな理由があったんですね。

 

そうなりゃ気になるのが旧駅付近の現在の様子です。

現在の織笠駅を見た後に現地に向かってみました。

正面に見えるのが織笠川の河口で

背後に山田線時代の織笠駅があったはずなのですが…

 

さっぱりわからん。

画像の左側にリアス線の線路が伸びており、

橋の袂付近に駅があったはずですが、痕跡はまったく残ってませんでした。

 

航空写真によれば、ここにホームがあったはずですけど…

ネットの情報によると、織笠駅付近は線路の道床が流失したために

線路自体が新しく造り替えられたとのこと。

震災前に存在していた待合室の基礎も

整地ついでに撤去されてしまったのでしょうね。

 

わずかですけど建物の基礎が残っていたので

国鉄時代の駅舎のモノだと思い喜びましたが…

駅舎があった場所はここではなかったみたい。

 

駅舎はコンクリート基礎から河口側のこの付近にあったそうですよ。

 

手前に古いアスファルトが見えます。

駅が現役だった頃に、駅前にアスファルトが広く敷かれていたので、

織笠駅のモノで間違いないでしょう。

 

同じ場所を正面から見ましたけど、

ここに駅があったなんて思えませんね。

 

その後も織笠駅の痕跡を求めて付近を探索しようと思いましたが…

津波で押し流されたと思われるガードレールや

ボートのエンジンが今でも転がったままになっているし…

 

流されたままの生活道具や献花用の花立などもあり、

ここに長く居ちゃいけないような気がしました。

そんなことでこの場は早々に退散、

織笠駅の旧駅跡のチェックはこれで終わりです。

 

東日本大震災から間もなく10年目を迎えますが、

復興はまだまだ先であること実感しました。

昨年は台風19号の被害で半年近くも不通だったリアス線。

今年も天候が大荒れですが三陸鉄道には頑張ってほしいですね。

 

 

三陸鉄道リアス線(釜石駅-宮古駅)

 

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