皆さま、おばんです!

 

今から1年前、ブログに奥羽本線・湯沢駅の訪問記を挙げました。

奥羽本線・湯沢駅

 

その中で、かつて湯沢駅と梺駅を結んでいた

羽後交通雄勝線(昭和48年廃止)のことに触れ、

「いつか廃線跡を巡りたい」と書いてたのですよね。

羽後交通雄勝線

デハ3号車両保存庫の庫内に貼られていた雄勝線の路線図です。

 

その後、湯沢駅は列車で通過する機会は何度かありましたけど、

下車するチャンスはなく、

廃線跡巡りを出来ぬまま時間が経過しまして…

しかし、ついにその日がやって来たのですよ!

 

そもそものきっかけは、8月4日~6日にかけて、

普段は非公開の、羽後交通デハ3の公開イベントが催されていたから。

町役場に事前に予約をすれば観覧が出来るみたいですけど、

職員さんに気を使わせたくなかったし、この機会を待っていたのですよ。

 

…ということで本日、雄勝線の終点・梺(ふもと)駅跡地にある

デハ3号車両保存庫にやって来ました。

羽後交通雄勝線

おおおっ、シャッターが開いてる!

ついにデハ3を間近で見れる時が来たか!

 

デハ3にご対面~!

羽後交通雄勝線

あまりの興奮に言葉が出ないのですけど。

現場に町の職員さんが待機されていて、

車内外、自由に見て構わないというお話を戴きました。

それでは遠慮なく拝見させていただきま~す。

 

車内はご覧の通り、新車並みに復元されてますね。

羽後交通雄勝線

ウワサによると、デハ3は「通電すれば動く」レベルまで

整備の方も行き届いているらしい。

 

保存中のデハ3も素晴らしかったですが、

庫内に貼られていた雄勝線の資料(写真)もすごかったです。

駅ファンなら、どれもこれも見逃せないモノばかりでしたよ。

こちらは今いる、梺駅がまだ現役だった頃の写真。

デハ3の同形車のデハ2も写ってますね。

羽後交通雄勝線

下を歩くのは遠足帰りの小学校の児童さんだそう。

それにしても、この空き地にこんな賑やかな時代があったとは驚きです。

 

こうなると気になってくるのが、雄勝線と運命を共にし

昭和42-48年にかけて廃止された駅たちの現在の様子です。

雄勝線は総延長11,7キロの路線で、

起点の湯沢駅を含めて8つの駅があったのですよ。

それぞれの駅間は0,9~2.2キロと短く

全ての駅跡を周っても、さほど時間はかかりません。

そこで、全駅の駅跡を周ってきたのですが…

 

廃止されてから間もなく50年目を迎える雄勝線。

予想はしてましたけど、

線路跡や駅は整地され跡形なく姿を消していたのでした。

 

記念碑が立っている西馬音内(にしもない)駅跡や…

羽後交通雄勝線

 

すぐそばに橋台跡が残る

羽後山田(うごやまだ)駅跡はまだ良い方です。

羽後交通雄勝線

 

ここは単式ホームがあったあぐりこ駅跡ですが、見てくださいよ!

用地は畑に転用されて、

駅自体がどこにあったのかもわからぬ状態に変わっていたのです。

羽後交通雄勝線

多分、この辺りで間違いないはずなのですが…

 

そんな時に、農作業中のオジサマとすれ違いました。

ひょっとしたら、オジサマなら駅のことを知っているのではないかと思い、

声を掛けてみたところ…

「あぐりこ駅だべ。ウチの畑のど真ん中にあったから付いて来い。」

と自分を先導してくれたのですよ。

オジサマだと思ったのですが、実はカミサマだったとは!!!

羽後交通雄勝線

 

オジサマの話によると、あぐりこ駅は矢印の先辺りにあったらしく。

奥の方からまっすぐ線路が延びていたそうです。

羽後交通雄勝線

 

雄勝線が廃止された後、

農業用地としてこの地を手に入れられたそうですが、

畑を耕すたびに駅の部材が出てきて困惑していたみたい。

先日も、こんな木材が出てきたそうですよ。

羽後交通雄勝線

 

それとバラストも。

ここを雄勝線が通っていた証ですよね、コレ。

羽後交通雄勝線

他にもオジサマから、あぐりこ駅にまつわる話をお聞きしましたが、

それは後日にブログアップします。

 

自分は知らなかったのですが、

明治村で活躍する蒸機列車の3両の客車たちも

元は雄勝線で活躍してた車両らしく。

こんなレトロな車両たちが昭和48年まで現役線だったとか…

(廃止直前は休車だったようですが)

羽後交通雄勝線、

知れば知るほど深みにはまる、スルメ路線であること間違いなしです!