皆さま、おはようございます!
今朝は、昨年12月に訪れた
只見線・若宮(わかみや)駅の訪問記です!
田んぼのど真ん中にホームが1本あるだけの若宮駅。
ここだけ見ると、全国どこにでもある無人駅のように思えますが、
自分は、若宮駅が開業した経緯に興味津々でして…
この点につきましては後ほど触れますね。
若宮駅は昭和9年、会津坂下町の南部に開業した駅でした。
町道と只見線が交差する地点にある、若宮踏切のすぐそばにある駅で、
踏切のそばにある酒屋さんの軒下にある歩道を進むと
若宮駅のホームに入れますのよ。
それにしても、この歩道が地味に長い。
ホームまで歩くのは、ちょっとした有酸素運動ですわ。
踏切からホームまでの距離は、近い方が絶対に便利だと思うのですが、
なぜこんなに遠のけちゃったのでしょうね?
歩道の辺りは田んぼしかありませんので、
その気になれば、もっと近くに造れた気がしますが。
小デブな自分はフーフー言いながら、
ようやくホームにインすることが出来ましたよ。
さてさて、全国各地でこの手の無人駅が増殖したのは、
昭和20年代後半~昭和30年代にかけてのことです。
この時代、全国各地のローカル線では
気動車(ディーゼルカー)が大量投入され、
普通列車は、それまでの長大な客車列車から
短編成の気動車列車に置き換えが進行しました。
同時に、気動車の起動性の良さを活かしたダイヤ作りも行われて、
若宮駅のようなホームが短い停留所タイプの駅が
全国あちらこちらで出現した時期でしたの。
しか~し、若宮駅の開業年はそれよりも早い昭和9年。
ディーゼルカーが登場するもっと前の話なのです。
戦前に若宮駅が開業した理由とは…はて?
その答えですが、Wikiにチョロっと書かれてました。
若宮駅は、ディーゼルカーではなく、
日本の気動車史の黎明期に登場した
ガソリンカーの停留所として開業した駅なんですって。
ガソリンカーとディーゼルカーは何が違うの?
という点についてですが、
自動車の2車の違いを思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。
他にも、当時のガソリン車は
クラッチを用いた機械式変速機を搭載していたりと、
内燃動車の中でもごく初期につくられたモノなのでした。
当時のガソリンカー事情を調べるべく、
マイ書棚からこんな書籍を引っ張り出しみましたよ。
RMライブラリーの記念すべき第1号、「キハ41000とその一族(上)」です。
この書籍によれば、昭和8年に、磐越西線&只見線向けに
ガソリンカーのキハ40000が配置されてたようですね。
全長約12メートルの小型車で、総数30両が製造された形式でした。
勾配を持つローカル線を中心に配備されたらしいですが、
使用実績は決して良いものではなかったようで、
夏場はオーバーヒートが多発したとか。
同書には、喜多方駅で撮影された、
ラジエーターを増設した改造車両の写真も掲載されてましたっけ。
詳しくは、鉄道書籍に強い書店の店頭でも入手出来ますので、
ぜひRMライブラリーを手にしてくださいね。
そんなことで、ガソリンカーが行き来していた姿を頭の中に浮かべながら
若宮駅のホームに立ちました。
こちらは若宮駅の待合室です。
シャッター付きの除雪機の格納庫が併設されていて、
一見すると新しくも感じますが、実はこちらも昭和9年に建てられたモノ。
駅の風景は、開業当時から大きく変っていないみたいです。
中は結構狭い印象。
昔の日本人は小柄だったのか?
再びホームを眺めました。
ホームに延長された形跡があるのですが、
最初に造られた部分(緑の矢印で記した箇所)って、
キハ40000+1両(キハ40000は貨車1両を牽引できる出力で
設計されております)分の長さなのではないでしょうかね?
そんなことを考えていたら、興奮で震えが止まらないのですが。
こうして今回も、楽しく駅探索を終了することが出来ました。
最後に若宮駅の駅名標を見て、ニヤケが止まらなくなってしまった自分。
決して不審者ではありませんので、そっとしておいてください。
↑(会津若松駅方面)
七日町駅
西若松駅
会津本郷駅(平成28年12月7日)
会津高田駅
根岸駅
若宮駅(平成28年12月7日)
会津坂下駅
滝谷駅
会津宮下駅
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越後広瀬駅
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