皆さま、こんにちは!
テレビや雑誌に自分が行ったことがある場所が出てると
ついつい嬉しくなっちゃいますよね。
こちらは春に買った愛用の時刻表です。
表紙には、緑に囲まれた美しい木造駅舎が写っておりますが、
こちらは昨年秋の北海道旅の際に訪れた
石勝線・鹿ノ谷(しかのたに)駅でした。
さぞ、自分も気持ちの良い時間を過ごしたと思われそうですけど…
訪れた日はどんより天気なの。
この時は本当に自分の雨男ぶりを恨みましたよ。
せっかく北海道まで来たっていうのに。
自分が鹿ノ谷駅に到着したのは朝7時前のこと。
鹿ノ谷駅は昭和59年に無人化された駅ですが、
早朝、定期的に地元の皆さんが構内の清掃をされてるそうです。
駅前にこんなに車が並ぶことは、普段はないんだそうで。
荷受口は板が打ち付けられておりますが、
待合室内はほぼ、有人駅時代のままの姿で保持されておりましたよ。
自分が鹿ノ谷駅に訪れたのは昨年10月のことで、
この頃は1日9往復の列車が運行されておりましたが、
今年3月のダイヤ改正では1日5往復まで減便されてしまいました。
これからも以前同様に、地元の皆さんに愛され続ける駅であればいいのですが。
こちらが鹿ノ谷駅のホーム、単式ホームが1本あるだけの棒線駅ですよ。
今でこそ、鹿ノ谷駅は広大な空き地に囲まれてますが、
かつてここには無数の夕張炭田の炭鉱住宅が並び、
鹿ノ谷駅も石炭輸送の貨物列車の往来で賑わっていたそうです。
こちらは昭和28年に撮影された鹿ノ谷駅周辺の航空写真、
今では想像も出来ないような街並みが、ここにあったようですね。
鹿ノ谷駅は明治34年に開業、
同年に開通した北海道炭礦鉄道(後に国有化、夕張線→石勝線)の他、
大正15年に開通した夕張鉄道線が接続した駅でした。
夕張鉄道線は鹿ノ谷駅構内に工場を配置、
広大な鉄道用地を持っていたようですけど、
昭和49年に北海道炭礦汽船に譲渡の末、昭和50年に廃止されてしまいました。
こちらは廃止翌年の昭和51年に撮影された鹿ノ谷駅周辺の航空写真です。
跨線橋の奥に見えるのが夕張鉄道線のホーム、
転車台跡やレンガ造りの車庫も見えますよね。
この頃の夕張線の鹿ノ谷駅は、
2本のホームを持つ2面3線構造だったことがわまります。
構内の現在の様子が知りたくて、駅の近くに架けられた歩道橋を歩いてみました。
この歩道橋の長さからも、かつての鹿ノ谷駅の構内の広さが伺えますよ。
下を覗くと…
あらま、ずいぶんと寂しくなっちゃったみたいで…
時刻表の表紙の写真、この歩道橋から撮ったんだ。
国鉄末期に廃止された島式ホームが草むらの中に埋もれてました。
夕張駅側を見ても、
鉄道が栄えた時代を彷彿させるものを見ることは出来ませんでした。
あったといえば、駅舎寄りに備えられた貨物列車の荷役ホーム跡ぐらいか。
機関庫を転用した工場が鹿ノ谷駅構内に残っているというし、
廃線跡では解体されずに残る駅舎が見れるっていうし、
夕張鉄道線、いつかじっくり歩いてみたいと思いました。
ところでところで!
鹿ノ谷駅、真ん中の”の”の字は「ノ」が正しいはずですが、
道路標識は「鹿の谷駅」と表記されてました。
住所表記が「鹿の谷」であることが原因の誤植だと思いますけど
住民の皆さんも「鹿の谷駅」と書かれているようで…
方や、郵便局名は「鹿ノ谷」、ホントややこしいですね。
鹿ノ谷駅(平成27年10月20日)
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