皆さま、こんにちは!
江差線・七重浜(ななえはま)駅です!
七重浜…この土地名、
最近では北海道新幹線絡みのテレビ番組でもよく聞くようになりましたが、
鉄道ファン的に思い浮かべるとしたら、
何といっても昭和29年に起きた洞爺丸事故でしょう。
その年の台風15号(洞爺丸台風)から転覆を避けるために座礁、
直後に転覆し、1,155人の尊い命が犠牲になった事故で、
その現場となったのが七重浜だったのですよ。
後に青函トンネル建設を推進させるきっかけにもなったこの事故、
駅から1キロ海岸寄りに慰霊の碑が建てられております。
そしてもうひとつ、
青森港-函館港間を結ぶ津軽海峡フェリーの最寄駅でして、
お正月に津軽海峡フェリーを利用した際、
約1,500のタクシー代をケチろうとして
フェリーターミナルから七重浜駅まで歩こうと思ったのですが、
年始の函館、想像以上に寒かったの!
結局は、見ず知らずの人2人をつかまえて、
函館駅前まで3人でタクシー代を割り勘するという荒業を成し遂げました。
さて、本題の七重浜駅ですが、
橋上駅舎にも関わらず、駅舎らしきものが駅前に建っているのです。
実はこれ、竣工後7年間しか使用されなかった悲劇の駅舎でして、
大正15年の開業時から使用されていた木造駅舎に代わり
昭和54年に建てられたモノなのですよ。
橋上駅舎化される以前の七重浜駅は相対式2面2線構造で、
昭和52年撮影の航空写真より。
この頃の七重浜駅は多くの貨物側線を持つ構内の広い駅で、
それらを跨ぐように、南北を貫く自由通路が設けられていたのですよ。
昭和54年、木造駅舎に代わって東隣りに2代目駅舎が建てられましたが、
青函トンネル開通により構内踏切が廃止されることになり、
昭和61年に再度、自由通路を兼ねた橋上駅舎に建て替えられたのです。
現在の航空写真です。
なお、短命で終わった2代目駅舎はさすがに解体はされず、
橋上駅舎化後も、テナントが入居したり、駅事務室として機能したりと、
ホーム寄りの駅名標は今でも残されてました。
自由通路の中央に駅出入口が、奥には出札窓口&改札口がありました。
密閉式の構造はさすが北海道と言った感じですよね。
七重浜駅は島式ホーム1面2線構造、
こちらのホームは2代目駅舎と共に貨物側線の跡地に新設されたもの。
木造駅舎時代のホームは駅舎寄りにありました。
側線を避けるように立てられた架線柱にも注目ですよ。
駅を満喫している最中、特急列車が通過してゆきました。
来月のダイヤ改正での急行「はまなす」廃止後は、
宿代わりに使える夜行便が設定された
津軽海峡フェリー(&青函フェリー)の利用が増そうな予感。
七重浜駅にもお世話になりそうです。
それともまた、フェリーターミナル前で
タクシー代の割り勘に賛同する人を募ることになるのかしら?
訪問駅リスト(JR線)
江差線
↑(五稜郭駅方面)
七重浜駅(平成28年1月2日)
東久根別駅(平成28年1月2日)
久根別駅(平成28年1月2日)
清川口駅(平成28年1月2日)
上磯駅(平成28年1月2日)前編 ・後編
茂辺地駅(平成28年1月2日)
渡島当別駅(平成28年1月2日)
釜谷駅(平成28年1月2日)
泉沢駅(平成28年1月2日)
札苅駅(平成28年1月2日)
木古内駅(平成26年3月8日)
↓江差線(平成26年3月廃止区間)
七重浜駅は津軽海峡フェリー・函館フェリーターミナルの最寄り駅です。
津軽海峡フェリー18便(青森港1730→函館港2110)に乗ってみた。(前編)
津軽海峡フェリー18便(青森港1730→函館港2110)に乗ってみた。(後編)