皆さま、こんにちは!
現在では無人駅でも以前は駅員が配置されていた駅、
全国にはたくさんありますよね。
経営合理化によって無人駅となり、
大きな木造駅舎から簡易駅舎に変わった駅も少なくないのですが、
駅の構造がホーム1本だけだったりすると、
「本当にここに駅員が必要だったの?」
と思っちゃったりするわけです。
山形鉄道フラワー長井線・鮎貝(あゆかい)駅です!
この画像だけ見たら、どこが駅だかわかりませんよね。
コの字形の大きな屋根があるんだけど、
その奥が駅なのかしら?
屋根には鮎貝駅の駅名が揚げられておりました。
うん、間違いなくここが鮎貝駅だ。
屋根の奥にはホームがありました。
ホーム自体は国鉄時代からの、
ちなみにこの屋根、手前側が駐輪場になってますのよ。
自転車を停めたら、屋根から外れることなく
単式ホームが1本あるだけの簡単な構造の鮎貝駅。
目の前に広がるのは田んぼだけ。
こんな光景の駅でも、過去には職員さんがいた駅だったんですね。
大正11年に開業した鮎貝駅ですが、
とっても気になることがあったんですよ。
いくら鉄道業界に古き良き時代があったと言えど、
田んぼのど真ん中にある鮎貝駅に職員が配置されていたとは、
なにか理由があったんじゃないかな…って。
そこで頼りになるのが過去の航空写真です。
昔の駅周辺の景色がバッチリ確認できますから。
そしたら見つかりましたよ。
今とは違う、過去の鮎貝駅の姿が。
中央に白く写るのが開業当時から使用されていた木造駅舎なのですが、
ホームに停車する蒸気機関車牽引の貨物列車の手前には
もう1本(2本?)の側線がありまして、
列車の行き違いが出来る構造になっていたんですよ。
また、駅舎の荒砥駅側(画像右側)にも側線があって、
今では想像出来ないような、大きな駅だったみたい。
分岐器の操作があったとすれば、
駅員配置も十分に納得できちゃいます。
こちらは昭和50年に撮影された鮎貝駅上空の航空写真。
木造駅舎は残るものも駅構内は整理され、
用地は田んぼに転用されてしまったようです。
なお、駅員配置は昭和58年まで続けられたとか。
わずかな列車がストップ&ゴーを繰り返すだけの駅、
国鉄末期の鮎貝駅はさぞ長閑な感じだったんでしょうね。
鮎貝駅には鮎貝小学校の児童が制作した、
ちなみに鮎貝小学校の最寄駅は鮎貝駅ではなく、
お隣の四季の郷駅 だったりします。
鮎貝小学校の皆さん、本当にご苦労さまでした。
鮎貝駅(平成25年11月24日)