皆さま、こんにちは!
フラワー長井線の沿線では養蚕が盛んだってことは、
民話の語り部館・夕鶴の里の最寄りのおりはた駅 でも書きましたが、
山形鉄道フラワー長井線・蚕桑(こぐわ)駅です!
駅名を見てもそのまんまですよね。
17世紀には既にこの地で養蚕が始まっていたというからホンモノです。
現在でも駅周辺では多くの桑畑が見られるそうですよ。
この地区に蚕桑駅が開業したのは、
国鉄長井線が開通した大正11年のこと。
国鉄職員が蚕桑駅から退いた後も永らく委託駅だったようですが、
平成4年に完全無人化されて、
現在は簡易駅舎に代わってしまったようです。
で、蚕桑駅はすっかり淋しくなってしまったかというと
なんだか、とっても賑やかになっておりましたの。
掲示板をきっちり読めばその主旨も理解出来たんでしょうけど、
字が所々消えていて読み取れなかったんですよね。
おそらくは蚕桑駅が(架空の)夢の銀河鉄道の
夢燦蚕(ゆめさんさん)駅ってことになっておりまして、
ポストに願いごとを入れると願いが叶う…
ってことだと思ったのですが。
掲示板には韓国からの留学生の願いごとが貼られてまして、
「米沢の学校まで3時間かけて通学してた」
ってのがあったんですけど、
そのバイタリティーさえあれば願いは必ず叶いますよ。
通学時間が3時間…ホントすごいわ。
蚕桑駅は単式ホーム1本だけの棒線駅で、
以前は蚕桑駅からの貨物輸送も行われていたようで、
駅自体も当時は相対式2面2線構造だったり、
白兎駅寄りに貨物ホームがあったって言うんですけど、
この防雪林の下に本当にホームがあったのかしら?
Y字分岐器の跡があって、
行き違いが出来たのは確かですけど…
古い蚕桑駅の写真があれば一発回答なんでしょうけどね。
さてさて、蚕桑駅で注目してほしい見どころは、
駅なのに、正面にはなぜか立派な門柱が。
実はこれ、かつて鮎貝沢橋の旧橋で使われていた
鮎貝沢橋が新橋に付け替えられた際に、
旧橋の親注部分を保存目的でここに持ってきたらしいです。
それにしても装飾が豪華すぎて
これ、養蚕によって豊かになった街の象徴として
親柱に彫られた彫刻なんでしょうけど、
今もこうして見ることができるなんて、
蚕桑駅、ステキな駅だと思いません?
そういえば、蚕桑駅のこの親注に夢中になりすぎて、
願いごとを置いてくるの忘れてました。
次回訪れる際には、忘れずに置いてこよっと!
ダイエットが成功して体重60キロになることと、
これからも全国の駅をいっぱい回れることと、
お金持ちになれることと、休みをいっぱいもらえることと…
自分、中二病かって!
蚕桑駅(平成25年11月24日)