漫才師 大木こだまひびき FILE No.45 ART STYLE | ART STYLE SHIGA(アートスタイル滋賀)

ART STYLE SHIGA(アートスタイル滋賀)

「滋賀には魅力的なアーティストがたくさんいる。
この素敵な事実をみんなに伝えたい」、そんな想いで始めた"アートスタイル"。
ミュージシャンやモデル、俳優、お笑い芸人、芸術家、建築家など幅広いジャンルのアーティストをご紹介。

若い人には、一つでいいから
本当にやりたいことを見つけてほしいですね。



「チッチキチ~」のフレーズで大ブレイク中の、大木こだまひびきさん。関西ではすっかりお馴染みだったお二人も、いまや活躍の場は全国区に拡大。

「ずいぶん忙しくなりましたね。変わらへんのは吉本のギャラだけですわ(笑)」(ひびきさん)。「若手がみんな“師匠、師匠”て言うから、こないだ街歩いてたら高校生にまで“師匠!”って呼ばれて…。
あれ僕の名前を“師匠”と思てるんちゃうかな(笑)」(こだまさん)と、周りの環境もずいぶん変わったとか。

こだまさんは大阪府吹田市、ひびきさんは滋賀県彦根市のご出身。
「マンガやないけど、タイヤに紐つけて腰に巻いて、琵琶湖の砂浜で走ってました(笑)」と言うほど、スポーツが大好きだったひびきさんは、歌も好きで、中学2年生のとき歌番組のオーディションにも参加したほどだ。「そのオーディションの帰りに父となんば花月に行ったんです。そのとき、中田ダイマル・ラケット師匠の漫才を初めて観て、なんというかもうゾクゾクッときましたね。後ろから波が来るような笑いがドッときて、すごい仕事もあるもんやな~とボーっとしてしまって、新喜劇の途中で帰ってしまいました」。

高校卒業後に大阪の俳優養成所に入ったひびきさんは、友人と漫才を始めてほどなくスカウトされる。しかもスカウトした人物が、あのダイマル・ラケットの一番弟子だったというから運命的だ。その後「中田ネオン・サイン」「古都からん・ころん」としての活動を経て、1981年に「大木こだまひびき」を結成。

当時は社会現象までになった漫才ブームが去った頃。時代のうねりを目の当たりにしていたお二人だが、「ゆっくりゆっくり行こうと考えてたので焦りはなかったですね。でも、常に前進はしてたと思います」(ひびきさん)、「この世界は時代の風が吹かんとどうしようもないですから、風が吹くまでにエネルギーを溜めておかないと…と思ってました」(こだまさん)と語るように、じっくり実力を重ねてきた。

そして“結成10年の間に賞獲りを”の目標を、コンビ結成10周年で、『上方お笑い大賞 金賞』を受賞。その後同賞大賞、『上方漫才大賞 大賞』を2度目の受賞。現在『上方お笑い大賞』を2度受賞したのは、こだまひびきのお二人だけである。

あとで後悔しないように、今やりたいことは全部していきたいと語るお二人。これからは、漫才をどう変えていくかという点を追求したいとか。「いつかはこのブレイクも必ず止む時が来る。でも、止んだ時に前よりグレードの高いところに立っておきたい。僕らに風が吹いてる今動いた分だけグレードが上がるんちゃうかなって思ってます」(こだまさん)。


最後に滋賀の若者にメッセージを…とリクエストすると「メッセージになるかわからないけど」と、こんな言葉を添えてくれた。

「“楽しんだから苦しみなさい、苦しんだから楽しみなさい”。小さな苦しみも大きな苦しみも、全部楽しみと背中合わせになってると、最近よく感じます」(こだまさん)。

「本当にやりたいこと、これだけは自信がある!と思えることを一つでいいから見つけてほしいですね」(ひびきさん)。

TVの印象と変わらず、気さくに取材に答えてくれたこだまひびきのお二人、これからも応援してます!


【プロフィール】
大木こだまさん
1951年生まれ 大阪府吹田市出身

大木ひびきさん
1955年生まれ 滋賀県彦根市出身


1981年 コンビ結成
1996年、2005年 上方お笑い大賞 大賞受賞
1996年、2006年 上方漫才大賞 大賞受賞