日本の工業立国を担う期待のもと開催された
つくば科学万博(1985)は広大な松と雑木に覆われた地域を開発して
会場がつくられた。
未来の夢のような祭りで、世界に認知されるばかりでなく、
当然、その後の日本の科学技術の一大拠点、テクノパークを創ることだった。
中には、筑波大学を新設し、企業の研究所の誘致、
国の研究所を集めた。まったく歴史もなく、手つかずの土地に、
日本の未来の都市像をつくるのにはある程度は成功した。
洞峰公園や道路は車線も多く、碁盤目状の道路網と街路樹の整備は
日本では特筆すべきもので、
国道408号線のユリの木の高さと植栽されている距離のスケール感は
日本では見たことのない景観で、特に、秋の紅葉シーズンは見事である。
新都市つくばにも、日本国がそうであるように、
国や都市の理念が欠けており、。経済的な範囲に集約されている。
磯崎新はつくばセンタービルを設計(1987)し、
人間が生活する都市には自然と文化を築き、日々それを蓄積し、
歴史を築いてゆくことが都市をつくることだと言う。
日本が世界に誇れるロケット技術は
筑波宇宙センターで開催される年一回の特別公開日に行ってみれば、
その夢をカタチにするのを実感できる。(同センターでは、
この他、様々な企画を行い年間30万人の来場者を迎えているという)。
国土地理院 地図と測量の科学館もある。
もっと常時、一般公開できるようにしてほしいのは、
森林総合研究所など国の施設だ。
ワシントンDCのスミソニアン博物館のように、
文化の一部としての科学技術を表現展示することが必要なのだ。
それにはミュージアムをつくりたい。
人間生活、経済活動だけに関わるだけでは、創造性は生まれない。世界に誇れるものがなくなり、すでに多くの分野で中国やシンガポールの躍進ぶりに遅れをとり、アジアでも後進国になりつつある。