ベルリンの「ライヒスターク(国会議事堂)」や
茨城県里見村での青の「アンブレラ」とカリフォルニアの砂漠での黄の「アンブレラ」
そしてニューヨークのセントラルパークの「ゲート」にしても、
美術館などで見るクリストの
シュミレーションの為のコラージュや絵画だけから判断すると、
画家かなと、あるいはインスタレーション作家と
単純にジャンルを既定してしまうかもしれない
感性や主観に頼る世界は好きか嫌い、
判断基準が曖昧糢糊で流言飛語が跋扈しやすい。
美術界では、いつの時代も流行現象があり、
群衆心理に付け込む幻想に踊らされてきた。
クリストとジャン=クロード夫妻の最小単位のチームは
国や行政あるいは大企業の依頼で動くわけでなく、
やりたいテーマと場所を自分たちで探し、
プロジェクトを展示、展開できる建造物や場所を借りる交渉をする。
映画であればスタッフが探し交渉すところを夫妻が主体になってやる。
チーム・クリストは表現に関しては一切他が介在することはない。
巨大イベントであろうが、小イベントであろうが、人任せにすることはない。
クリストを注目してきたのは、どんな業界とも無関係、
自分たちのアイデアと努力で成し遂げてきたことだ。
そして、プロジェクトのための資金づくりがある。
計画をシュミレーションしてモンタージュや絵画などを売り、
制作費に充てるというもの。
この一貫システムがクリストがクリストとしての自由を確保できた条件であり、
他には見たことも聞いたこともない。
他を頼り、金と一緒に様々な注文を聞かねばならず、
何のための作品づくりか分からなくなるというわけだ。
クリストは一切を排除することにより芸術家としての原点を輝かせて来た。
そこには当然、借りようとする場所や物件を持つ国や行政が
リアリティを描け持てるまでには、
長いものでは25年以上という信じられない程の時間と手間がかけている。
そして、現在のように、余りに早く物事が金とパワーによって変化する中で、
クリストは地軸や時間そして社会をも止め、
逆転のタイムトンネルをも現出させる。
20世紀が生んだ偉大な表現者であるとともに、
芸術家が芸術家として生きる道を切り拓いて示してくれた。



