先週クリストのことを書いたので、1991年アンブレラ展のあった
茨城県北部の里美に痕跡を探り行った。
残念ながらイベントの中心部に「道の駅」が出来、その屋根が傘を模した程度である。
樋口正一郎著 「都市景観と彫刻の未来」クリスト より
あれだけ国際的な話題と注目を集めたものであっても、
まるで日本の農村風景と変わらないのも驚いてしまった、
かつての昔ながらの農家が今風の住宅に建て替えたことによる。
というのも朝早く行ったので、住んでいる人に会うこともなく聞くこともできず、
迷子のようにぐるぐる車で探し回ったが、
アトリエのあるつくばみらい茨城県南部にあるつくばみらい市周辺と変わりなかった。
それにしても、日本の実情を嫌という程確認させられたし、
惨めさを追認した。自分の損得、生死などに関わりのないものにまったく無関心なのだ。
形而下のもの以外、抽象的で形而上的なものは存在しない世界なのだろう。
クリストは展示後は現状復帰を徹底する。
そして、何事も無かったかのように、跡形もなく去る。
音楽や演劇などのパーフォーマンスのように、
異次元の世界を記憶に留める完璧さを追求した結果だろう。
クリストの表現はそういうもの。しかし、国や行政は記録を残すことが役目である。
日本国で行われた、人が関わる行為を記録することが、日本の歴史をつくることであり、
未開の民族以外、未来へ向かって持続しようとする国は最低限ルーティーンとして、
価値の大小で選択するのでなく、税金を集めることと同意語である。


