アメリカと言えども、美術に対し偏見と差別があったのではないか。
高級芸術と下級芸術と言ったらよいのか。
1970年代、建築家ジョン・アレンの
ウエストエンド89丁目のアパートに滞在するようになって、
そこから数分歩くと、ハドソン河畔のリバーサイド・パークに着く。
そこでキース・ヘリングのパブリックアートに出合った。
男は寝転んで本を読む。子供は下で駆け回る。
スーラの「グランドジャッドの日曜日」を見るようにだった。
NYC リバーサイド・パーク
70年代ソーホーの画廊は世界美術の中心だった。
当然、世界中のアーティストも集まり、
キ-スやアンディ・ウォーホールなどとも時々すれ違ったりした。
NYCの街角で
彼は当時はすでに有名だったが、
ストリート・アーティストの延長にいたキース・ヘリングは
ソーホーに、画廊然としたものではなく、雑貨屋風の店を持ち、
Tシャツなどを売っていた。
純粋アーティストというより、子供と遊ぶ生き方に比重を置いていたのだろう。
ニース/現代美術の彫刻庭園
日本でも「マンガ」はサブカルチャーそのものだった時代から、
世界中からの注目による外圧で、主客転倒し、美術はサブカルチャーに落ちた。
70年代から90年代にかけて、
アメリカのパブリックアートシーンも大きく変貌した。
イサム・ノグチやジョージ・シュガーマンなども彫刻遊具であったり、
ベンチなど使える、機能をもつ表現も増えた。
キース・ヘリングの造形の人気の高まりは
多くの都市で設置されているのを見ても納得できる。
都市は芸術のためだけでなく、キース・ヘリングは楽しい環境をつくる、
一緒になって遊べる環境づくりに突破口を開いた。


