いつの日にか表現者の中でも映画で天国、極楽あるいは楽園を
見せてくれることを心待ちにしてきた。
というのも、現実では教会や寺院は即物的に金を使ってきらびやかにすれば、
あるいは経済的に豪華にすれば天国や極楽風になるという、
ある種の騙しの既成概念のもと続けられてきた。
なんの創造的展開もなかった。
それらは、人類を愚弄し、怠慢を隠ぺいするための暴力的措置としか映らない。
映画「アニアーラ」は人類のエゴによる破壊活動により、
駄目になってしまった地球を脱出し、火星に向かう宇宙船「アニアーラ」号の話である。
2日程で到着する予定が、事故で燃料を放出せざるをえないことにより、
宇宙で漂流を始める。
乗客8000人の今流行のクルーズ船といった感じの小都市「アニアーラ」号も
滞在が長くなればなるほど、様々な人間模様と問題が起きる。
特に、だんだん太陽系から遠くなり、暗い宇宙に漂う絶望感に、
人々は主役の女性MRの担当する装置「MIMA」の、
手つかずの地球の自然映像と自身が一体化できるシュミレーションによって、
やっと生命の危機的状況やパニックから救出してくれる事を体感し、
装置に頼るようになる。
しかし、ここでも人類は「MIMA」も自然もあらゆるもの対し、
利用し、収奪するばかりで、人類がギブ&テイクの原則を
踏みにじり続けることに腹を立て自爆してしまう。
乗客は地球という自然によって心も身体も生かされてきたことに、
人類が地球に出現した時が天国であり、極楽であったことにやっと気が付いたが
すでに遅し、植物人間のように余命を機械装置によって生かされた、
人間性などなくなったサイボーグ化した乗客は自暴自棄になる。
大西洋、魔の三角地帯、サルガッソーの幽霊船よろしく、
乗客は死に絶え、真っ黒になった巨大な棺桶船「アニアーラ」は
900万年弱後、青い海と白い雲の宇宙・真珠に戻った「地球」の横を偶然通過する。
仏教の輪廻なのだろう。
