かつて青森大学で客員教授をしていた時、国際シンポジウムがあり、
宿舎の十和田湖畔の花鳥渓谷で
発明王の中松義郎、通称ドクター中松と夕食後2時間ほど話しをすることがあった。
Wikipedia 中松義郎
例によって、ドクター中松は自己の発明の歴史といかに偉大かを滔々と語られた。
並外れた自己宣伝に対する情熱は、天才は孤独。
それを打ち消す何倍もの人を圧倒するエネルギーが必要なのだと感じた。
閃き、アイデアに光や輝きが一番必要なことと何度も力説した。
閃きや光や輝きとは神の領域で天才とはそこに出入りできる人、
もちろん目的を持ち、啓示を表現できる人ということになる。
中世ヨーロッパ、ミケランジェロと言えども、
注文でピエタや聖母子像の大理石像は寺院などの要望による商品ともいえる。
しかし、彫りかけで終わった「作品・ロンダニーニのピエタ」」は
自身の芸術家としての目的を完遂したものではなかったか。
つまり、彫刻業から彫刻家への神の啓示を表現した天才になった時だ。
Wikipedia より
ドクター中松と話しているうちに、彼は発明家というより芸術家なのだと思うようになった。
発明品の石油ポンプはあらゆる家庭で使うようになったが、
フロッピーディスクはIBMに一万ドルで売った。
日本の社会に新しい考えや初めての事に対する拒否反応は
江戸時代の村社会からは今だに抜け出したいとも思わない国だ。
日本のように単一民族、単一思想、思考と創造社会とは真逆の構造をどのように変革するのか。
天才を生み出さなければ、日本は生き残れないからだ。

